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7月, 2020の投稿を表示しています

"自分を捧げる" キャンプに向けて示されたこと

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教会のキャンプが近づくにつれて奉仕の機会が増えたり、普段と違う活動や、違う人と接するような内容も出てくる。 毎回思うことだが、キャンプの時だけ”やる気”になっていては遅くて、普段の生活、生き方が試されている。 今日の礼拝メッセージから学んだように、どれだけ自分を捧げて、清められてきているかがはっきりと見える時だ。 キャンプ前のこの時期はやるべきことが凝縮されてきて、一々「神様のみこころは??」と考えていては付いて行けなくなるので、すぐ行動を取れるように、正しい動機と霊的なシャープさとセンスを高く保つようにする。 もっと祈っていくことが必要と思う。 キャンプで最大級の祝福をみんなで分かち合っていけるように。

本物の喜び

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聖日礼拝のメッセージを聞いて、 自分がやりたいことをしてくる喜びと、神様にもちいられてくる喜びが違うことを学んだ。 自分自身の頭の計算、好み、考えが神様の示す方向を邪魔して、神様が示す方を自分から拒否している事も神様に用いられる喜びを受け取れない一つなんだと、自分の過去を振り返りながら考えた。 まわりや感情がどうあれ、どっしりと構えている事が大切で、 反対に神様に用いられている時もでこれが当てはまるのだと思った。 神様は生きておられる方だから、示している事はその時その時によって違うだろう。 それを自然とわかり、神様に示されて従うことが出来るように礼拝に参加することが大切だと 改めて思った。 (名古屋礼拝所・婦人)

神様に自分を捧げるときに清くされ、全てのしていることが祝福される

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今日の聖日礼拝からは、 神様に自分を捧げるときに清くされ、全てのしていることが祝福されるということを学びました。同じように、安息日を 聖別 する時に、他の全ての日が祝福される。今日のみことばを聞いて、これからは 世 的な努力に騙されないで、神様のために生き・勉強し・働いていくべきだということについて改めて考えさせられました。 礼拝後に、福岡ブランチの姉妹とシェアしました。 彼女は同じように、自分を神様・教会に自分を捧げる時にもっと祝福されていると言いました。クリスチャンになったばかりの 頃の彼女 は、ただ単に自分問題から解放されたいから教会に行ったが、訓練されているうちにその目的が変わって、今は神様に良い捧げ物になるために自分を聖別して奉仕などをしています。その訓練はいまだに続いているから、いつも自分を聖別することがどれだけ大事かを改めて考えさせられたとシェアしました。

"神様のお役にたてるように"

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甲府礼拝所から届いた、聖日礼拝メッセージからの学び のシェア。 「 恵みとまことシリーズ No.20」 私はいま好きな事ができて生きているが、 今日の礼拝で自分がしたい事をして得る喜びと 神様に用いられて得る喜びは違うと学んだ。 私は自分の賜物をしらないし、どう生きたら 神様のみこころを行えるかまだよくわからない。 だから今日の礼拝で学んだ様に自分を聖別し 清めていきたい。チリにすぎない私に神様によって 用いられたい。パスターや牧師婦人に教えられたことを 素直に行っていきたい。そんな人生を歩みたい。 (婦人1) 自分を捧げるということが今日の礼拝でよくわかった。 人間は本来神様と人に仕えるものというところが印象的だった。 神様のお役にたてるようにいきていきたい。 また安息日を守ることが、他の6日も清められるというところが驚いた。 神様は本当に人間を祝福したいんだなということがよくわかった。 (婦人2) 安息日の過ごし方と残りの6日間 十分の一献金と残りの十分の9について 大切な真理を知る事ができ、今後の意識を変えて行きたいと思いました。 またイスラエルが神様によって起こされた大切な意味を初めて知りました。 神様の御心を実現する為に自身を捨て、神様に自身を捧げる事。 また一人が聖別される事で、周りも祝福される。 自分の為に生きるのでは無く、神様の為に、他者の為に生きる。 自身を神様に捧げる事の大切さを改めて知る事が出来ました。 行わなければならない事をしっかり意識する必要があると感じています。 (婦人3)

“イエス様に少しでも近づけるように”収穫者会からの学び

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収穫者会では みことばドリル を事前に解いてあることを前提としたメッセージを聞くことができ、実生活への適用をしていきます。 今週はマタイ16章13節〜28節でした。 サタンはイエス様にみんなが求めているメシアになるように誘惑した。  というところで、  私がイエス様の立場だったら、そう生きれたら楽だろうと思った。  反対も受けず、みんながあがめてくれる。  この世でみんながもとめてるもの。 しかし、イエス様は誘惑からぶれることなく、神様のみこころを行い通した。  また理解できてない、自分のことばかり考えている弟子達を受け入れ、 愛し合う事の大切さを伝え、模範となって行い続けた。  イエス様のその心が本当にすごいと思った。  少しでも近づけるようになりたい。(婦人)

“今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう”

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今週からエゼキエル書の学びは聖書セミナー”深みに漕ぎ出せ”に向けてのメッセージとなりました。甲府支部から学びのシェアです。 選ばれる事と召されることの違いを今回の礼拝で学んだ。  召しをうけるとは神様から直接こうしなさいと命令を受ける事。  モーセもパウロも召しを受けれる状態になるまで、 神様から清められ準備されていた。  神様のみこころをおこなう為には清められ、 自分のおめしの為に生きるのではなく、神様のみこころを行いたい と自分を聖別することが絶対条件。  みこころが行えるよう、もっともっと清められたい。(婦人)

キッチン奉仕からみた名古屋支部のレポート

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キッチンの奉仕から見た名古屋支部の日曜日の様子です。 メニュー:冷やし中華 各自材料を分担 尚子:麺、スープ 祐子:トマト、ハム 幸子:きゅうり 実穂:レタス、卵 生田:マヨネーズ、からし 実穂10時に到着してレタスと錦糸卵の準備。10時20分ごろ鏡子さん、康喜さん、康史さんが到着。鏡子さんに今日は早いですね。と声かけると、康史が早めに迎えにきてくれたと言っていました。BSで創世記(30年くらい前のアメリカの映画)の映画がやっていたので録画して時間がある時に観るという話をしてました。礼拝まで康喜さんと二人でキッチンの横のソファーに座っていました。30分くらいあったので、お茶を出しました。 祐子さん、生田さん到着して献品の水ようかんを切り始め、途中で幸子が到着して手伝ってました。 その後ますみさんも到着し、礼拝10分前くらいまで女性達はキッチンにいました。 礼拝後、康史さんと啓輔は献金の奉仕。 高須さん、幸子がいつも礼拝堂のテーブルをセッティングしてます。 聖那が礼拝が終わるとすぐにキッチンを手伝うモードになり、何をすればいいかと聞いて来ます。最近は何を準備するのか覚えて来て、今日はテーブルが出たら何も言わずコップとお茶を運び、ティッシュや箸のセッティングもやってありました。 コップにお茶を注ぐのはこぼすこともあるので、まだ大人がついています。今日はますみさんとやっていました。 キッチンでは祐子さん、生田さん、尚子さん、実穂で冷やし中華の盛り付けをし、途中で鏡子さんも手伝いに来ました。敦子さんも様子を見にきました。 盛り付けをしたら、聖那と婦人で礼拝堂のテーブルに運びました。 ここ何週間かサンドイッチと冷やし中華を交互にやっているので、準備がだいぶ早くできるようになりました。 喜哉は準備の間、キッチンの奥の部屋で絵を描くのに夢中になっていました。食べ終わるとすぐにまた絵を描きに行っていました。 康史さんが祈って、食べ始めました。 高須さんがBGMを流していました。 13時40分ごろ食べ終わり、シニアと啓輔は通読、 ますみさんと聖那、その他女性?洗い物。 生田さん会計。 ますみさんは片付けが終わったらすぐ帰ったようでした。 14時から実穂はサイトミーティングが始まり、同じ頃、康史さんとシニア達帰って行きました。シニアが帰ってから啓輔がミーティングに参加。 その

聖別し神様に捧げるとき、清いものとなる

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聖日礼拝「恵みとまことNo.19」からの学び、姉妹のシェア 世にあるものは全て清くないが、それを聖別し、神様に捧げるものとすると、それが清いものになって行くことを学びました。それと同様に、神様のために生きるクリスチャンの私も、自分自身を聖別しなければいけません。第一サムエル4章の話しでは、イスラエル人たちが軽い心で契約の箱を戦場に持って行ったが、それをみるときにペリシテ人たちは恐れました。結局、イスラエル人の負けで、ペリシテの勝ちでした。イスラエル人より、ペリシテ人たちの方が、神様に対する恐れ・真剣さを持ったことが考えられました。これから私と神様の関係をもっと真剣に考えていきます。今日聞いたみ言葉を感謝します。 礼拝後に、福岡ブランチの姉妹とスカイプでシェアしました。彼女は同じように、神様に対する真剣さが大切だと言いました。福岡ブランチでは、毎週トラクト配りをしているが、それがただの習慣にならないように、もっと信仰を持ってして行くことが大事です。働きだけではなく、そこにある清さも神様に求められているから、自分を聖別することが大事だといつも考えさせられています、とコメントしました。 (広島大学礼拝所)

天国への切符、トラクト配りのレポート

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天国への切符、トラクト配りのレポート。 今回よりトラクトと共に週報、みことばカード(子供用みことばカード)を一緒に配りました。 <トラクトの感想> 受け取ってすぐにトラクトや 週報を読み始めている人が多かった。 子供連れの家族には子供用みことばカードを添えた。 神様、どの方に渡しましょうか。 と聞いながら配った。 みことばがその人の心に入りますように。アーメン。 (婦人1) 昨日まで雲が厚く立ち込めた日々でしたが、今日は一転。 久しぶりの青空と夏らしい暑さ 駅には販売車が2台。 人出も多少あり、子供さんを連れた方もちらほら。 販売車の方がトラクトを笑顔で受け取ってくれたり、まずお父さんが受け取ってくれ、3人のお子さんがそれぞれ気に入った子供用みことばカードを受け取ってくれて、お母さんも受け取ってくれ家族全員が受け取ってくれました。 印象的な出来事でした。 神様に感謝申し上げます。 子供用みことばカードはそれぞれに選んでもらいましたが、選んでもらう事ができてよかったと思いました。 (婦人2) 今日はとても良いお天気でした。 また駅前広場に屋台が出ていて、いつもより子供たちが多かったように思います。 大人は暑さからか疲れている感じの人が多かったですが、 子供たちは子供ようのみことばカードを、「なになに?」という感じで見ていたのが印象的でした。 (婦人3) 甲府礼拝所より

聖書のみことばから教えられた真理、日々の生活への適応(甲府礼拝所)

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甲府礼拝所より、聖日礼拝後の3人の婦人たちによるシェア(みことばの分かち合い)のレポートを投稿します。 昨日の夜聖別のこと考えていて、聖別できてない部分が示された。 でも心のどこかでは神様よろこんでないって分かっていた。 今日の礼拝で、そういう部分があると戦いに負けます。と教えられて 本当にそうだとおもった。 いろんな段階を踏んで、神様がそれを教えてくれたこと。 それを心から変えたいと思えたこと。 私はイエスキリストの兵士だと改めてしれたこと。 天気にもめぐまれ、こんな日にトラクトを配れること。 神様がいってこい!っていってくれているようで嬉しかった。 (婦人1) 自分の家族や自分のことだけでなく 他者の為になにかをしたい。 礼拝に参加しそれを改めて確認できた。 (婦人2) 今はみことばカードを作ったり、チラシをつくる奉仕をさせてもらっている。 日々の生活に追われ、教会の奉仕とそれが区別がきちんとできていないとき 教会の奉仕がうまくできないと思うときがあった。 でもパスター達は信者さんが困っているとき、いま忙しいからあとでなんて絶対言わない。 神様も絶対後回しにしない。 その神様に救ってもらったのだから、自分の賜物でできることは日々の生活が忙しいからと後回しにしないで それを第一に行っていきたい。 (婦人3)

神様への賛美のひととき「この日は主が造られた(This is the Day)」

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東京礼拝所では、毎週聖日礼拝の午後、有志のメンバーで賛美をしています。最初に、歌詞の意味を説明して、そしてみんなで心から神様に賛美をする練習をしています。そのレポートをシェアします。 報告者:ハンナ 選曲:この日は主が造られた(This is the Day) 参加:東京(宮前平)メンバー 5名 報告:自分が昔から教会で歌っていた賛美。前はただ「この日を神様がつくった喜びの歌」だと思っていたこと、けれどダヴァール教会でみことばの説き明かしを聞いて、この歌詞が引用されている詩篇118:24を読むと「世からは捨てられた石である」ことが前提になっているから、この世では私たちは捨てられた石で戦いがあるけど、イエス様のようにその中から聖霊様による喜びがある、その一日を生きる賛美だと分かったことをシェアしました。まず2回賛美したあと、前のパスターのメッセージで「イザヤ53:11や、詩篇89篇が主をほめたたえることで終わっていることから、私たちも毎日戦いがあるが、イエス様が世との戦いの苦しみのあとの結果を喜びとして十字架を受けてくださった」という真理を学んだことをシェアし、また3回歌いました。 <賛美の歌詞> この日はこの日は 主が造られた主が造られた 我らは喜ぼう この日をばこの日をば この日は主が造られた 我らはこの日を喜ぼう この日はこの日は 主が造られた This is the Day, This is the Day that the Lord has made, that the Lord has made We will Rejoice, We will Rejoice And be Glad in it, And be Glad in it, This is the Day that the Lord has made We will Rejoice and be Glad in it This is the Day, This is the Day, that the Lord has made <聖書の引用> 詩篇118:22〜24 "家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。" イザヤ書 53章1

聖日礼拝「恵とまことシリーズ No.19」より、兄弟姉妹のシェア

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聖日礼拝「恵とまこと No.19」のメッセージから、それぞれ学んだことをお互いにシェアしました。 「兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。」テモテへの手紙 第二 2章4節  戦場とは、やるかやられるかの命がけの世界。 そのような時に他のことを考えていたら、やられてしまうひとつのこと(ここではサタンとの戦い)に集中するためには、清さが必要だ。 でもこの一瞬だけ清ければよいわけではなく、生き方が求められる。 昨今のコロナの問題にも負けないためにも、清さを保っていきたい。 (男性) 聖別について、普通のものが汚れていることを学んだ時に、 イエス様の再臨も、普通の生活を送っている中で起きることを思い起こした。 普通の生活も清められる必要がある。日頃の心配もなくす。 キリストの兵士として神様をまず第一にすることの大切さも学んだ。 自分の家族が大切で聖別できないことが多い。 去年の夏のキャンプで自分を神様に捧げる祈りの招きがあった時に、 家族のことが大事で自分を神様に捧げることができていなかったので、前に出なかった。そしたらパスターが「家族のことで前に出れない人がいたら、、〜その人も前に出なさい」と言ってくださって、深い愛情を感じた。家族のことを考えるのは、結局は自分のことを考えているということ。それも捧げていかなければいけない。神様を1番にすれば全て満たされる。 (婦人) 今週ちょうど清めについて考えていて、イエス様の「足を洗い合いなさい」という、今日の暗唱聖句と同じみことばが心にあった。今週新たに、何か良い行いをしようとする時に「(私は)クリスチャンだから、ここまではやっといた方がいいかな」という超自然に頭の計算で行動を起こしていることに気づいた。これはごく自然すぎて、子供の頃からずっとやってきた汚れ。やっと気づけて良かった。変えていきたい。今日のメッセージで清めについてさらに学ぶ中で、昨年のキャンプで示されたことを思い出した。それは、他人のために生きるということは、自分よりも他人を優先するのではなく、自分のことはもう考えないこと。学んだのに行動に移せていなかったので、これからやっていきたい。 (婦人) メッセージを聞いて、自分が「キリスト・イエスのりっぱな兵士」であるべきことを思い起こ

”王家の食卓” 〜今週のランチタイム

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みことばで心が満たされたら、ごはんでお腹も満たされよう。 まずは、 広島 冷麺(広島は気温30度でした) もやしのナムル ギリシャヨーグルトチーズケーキ 甲府 冷やしラーメン きゅうりの漬け物 きゅうちゃずけ 紫蘇味噌 東京 (宮前平) ミートソーススパゲティ オニオンスープ クッキー、コーヒー 東京 (鶴見) ロコモコ丼 レモンラッシー スナック、コーヒー 名古屋 冷やし中華 水ようかん 最後に 福岡 マーボー豆腐丼 わかめとしめじのスープ そして、今日は、、 福岡のボーイズ筆頭 ヨセフの誕生日のお祝いに💝 チーズケーキ 🍰 おめでとう❗️

教会学校レポート“きょうは良い知らせの日なのに、私たちはだまっている”

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【聖書箇所】Ⅱ列王記7章 【 暗唱聖句】きょうは良い知らせの日なのに、私たちはだまっている(2列王記7:9)。 【参加メンバー】ラケル、ヨセフ、レビ、エフライム(仮名)  ラケルが祈って始めました。  先週の読んだ内容を思い出しました。  ラケルはききんがきて親が子供を食べた。ヨラム王はこんなことになったこをエリシャのせいにして怒った。それで神様があきらめた。と言っていました。  それで、きょうはこの続きの話だけど、この後エリシャは殺されてイスラエルも滅びていくかな?と話して今日の聖書箇所を読みました。  読み終えてから、どんなことが起きたかを聞きました。 侍従が死んだ。見ることできたけど食べることができないと言って、そうなった。とラケルが答えました。  そうだね。神様はいつもことばを語って、その語られたことばが実現する。今回もエリシャを通して語られていたことば、侍従が門番をしていたときに民たちに踏みつけられて死んでしまった。それで、門について、メッセージで聞いたことを話しました。そこでは大事な会議がなされる場だった、今でいうと国会のような会議。 だれが門のところにいた?と聞くと、ツァラアトの人たち、と子供たちは言い、そこで何を会議していた?と聞くと、4節をレビが読みました。ツァラアトの人たちが話しているところを想像して話すと、レビはおもしろさがわかって笑っていました。そこで出た結論はアラムへ行こう。となり、結果それによってイスラエルが救われることになった。王様でもなく威張っている侍従でもない、みんなからのけものにされていたツァラアトの人たちが用いられてイスラエルが救われることになった。  それから、アラムの陣営にいったがそこで何が起きたか。と聞き、大軍勢の騒ぎの声を聞いて逃げた。とエフライムが答えました。神様が耳をひらいて聞かせられた。それで食べて金や銀などを持ち出し隠して、また来て隠して、と繰り返すうちにツァラアトの人たちは「私たちのしていることは正しくない」と考えた。それはどうしてかな?と聞くと、ラケルは、盗んでいるから?と言っていました。こどもたちは考えていましたがわからないようでした。イスラエルの町はききんで食べる物がなく苦しんでいるが自分たちは満腹している時みんなだったらどうする?と聞くと、ヨセフは他のみんなと一緒に食べるようにする、と言い、エフライムは

神様のみことばがどうか届きますように

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甲府支部メンバーからのトラクト配布の様子を掲載します。 【日時】 2020年7月11日(土)6:00~6:40 【場所】 H団地、N団地 ※長沼家より車で40分程、甲府礼拝所より車で60分程。 ※住宅に困窮する人にY市が貸している住宅とのことです。 【配布数】  H団地 30戸中( 婦人1)10枚 ( 婦人2)17枚 N団地 12戸 ( 婦人1)6戸 ( 婦人2)6戸 【配布方法】 各棟の1階の集合ポストにトラクトを1枚ずつ配布しました。 空き家には入れていません。     【感想】  (婦人1)時折小雨が降る中、牧丘に向かいましたが、標高が高くなるにつれ、空が近くなり空気が澄んで来ました。 二ヶ所目の住宅が見つからず歩いて探しましたが、雨も上がりすぐに見つかりました。 小規模の住宅でした。 ポストに入れる際、神様の御心が皆様に届きます様に。 甲府礼拝所に皆様が来てくれます様にと神様にお願いをしましたが、静かな時間の中とても落ち着いた気持ちでお祈りができました。  (婦人2)今日は小規模の団地にポスティングをしました。 途中、新聞配達の女性に会い、挨拶して トラクトを渡そうとしたら、 その団地の住人の方だったようで 「ポストに入っていると思うので…(後で読みます)」と言われました。 また、一つ一つのポストに神様のみことばがどうか届きますように、とお祈りしながら入れました。

“あなたがたもまた互いに足を洗い合いなさい”

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今週もメッセージはテーマ「恵みとまこと」でした。 各ブランチ、家の教会での学びのシェアをピックアップして掲載します。 清めとは自分の発する言葉を気をつけようだとか行動のことを 意識していたが、 その目的は神様のために自分を取り分けることだという その一歩先を知る事が足りていなかったことに本日の礼拝で気がついた。 お互いに助け合うこともその先には 神の国を広げるという目的があることを忘れないでいこうと思った。 人間的なレベルで終わるのではなく、もっと神様の心、目的に合わせていきたい。(甲府・婦人) 安息日の意味が少し分かった。神様が私に祝福を与えるためにそうしてくださった。今日のメッセージの内容ではないけれど、先日の聖書通読でイエス様が私のために死んでくださったということがストンと心に落ちたのです。それで聖書を読むと何だかいろんなことが分かってきた。(広島・婦人) 私は生まれた時からクリスチャンだが、メッセージを聞くたびにまだ色々と知らないこと沢山あると気付きました。今日は神様の恵みで人間は生きているんだということを学びました。神様のみ恵みで救われたというのは完全に罪を犯さなくなるという意味ではなく、むしろ過去、現在、将来の罪すべてが赦されているのだということがわかりました。クリスチャンの私もそうで、人間はこの世に生きている時、罪を犯すーー罪責感を持ってーー罪の赦しを求めてーー赦されてーー新しくされるというプロセスの中にいるから誰でも神様の恵みが必要になるはずと思います。この間の礼拝でも学んだが、神様からのすごく大きな恵みを受けた私は、恵みを与えるものになるべきということ改めて考えさせられました。愛されているから、人を愛する、赦されたから、人を赦すことのできる者に変えられました。神様の大きな恵みを感謝します!(広島大学・婦人) 人間は、神様の為に作られたことを改めて学んだ。 自分のいのち、家族を手放して神様にゆだねることが家族を大切にすることだと教えてもらったけど、 自分の事や家族の事を自分で何とかしなくてはという考えが心に染みついていることがわかった。 神様に自分をささげることで、清くされる事を学んだ。今まで、清くないから捧げれないと 考えていたので、全く逆の考え方をしていたことを教えてもらった。 自分を捧げることで清められて、こころのシミも清められることを学んだ。

“みことばカード” エペソ4章29節

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 毎週の暗唱聖句をそれぞれの礼拝所でオリジナルのカードにしています。 今週のみことば 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。 ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、 聞く人に恵みを与えなさい。 エペソ4章29節 東京 香港 甲府 名古屋

~甲府支部からのシェア~ 日曜礼拝「恵みとまこと No.17」より

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婦人A 最近清めについて考えることが多い。 人に会った後など、あれは余計な言葉だったなとか あ!あのときなんであの言葉をつたえなかったんだろうとか よく示される。 最近人に会う機会が増えてきたので、 人々が神様を見ることができるように 伝えるべきことば、行動を神様から示された通りに行っていきたい。 婦人B 今日のみことばでもあるように神様から受けたものを返すというのは 具体的にどうすればよいのだろうと思っていたが、 それは互いに愛し合うとこだと今日の礼拝で分かった。 また、清めとは自分を取り分けること、 そして新しく安息日の過ごし方を学びました。 礼拝でクリスチャンとしての生き方をひとつずつ教えてもらえるということを 改めて知った。 婦人C 安息日や1/10献金など、神様の為に聖別することで、 それ以外の普通の生活の日々も聖められることを知った。 イエス様が足を洗って下さったように、お互いの足を洗いあいなさいと いうところで、 まずは自分自身を清めることが大切で、その上で他の人たちのために 神様に用いられるのだと思う。一週間神様のことを意識してすごしていきたい。

CS(教会学校)の学びから「主よ。彼の目を開いて、見えるようにしてください。」2列王記6:17

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メンバー:ヨセフ(小6)、エステル(小2)(ニックネーム) 聖書箇所:2列王記6:8-23 暗唱聖句:主よ。彼の目を開いて、見えるようにしてください。2列王記6:17 3人で最初にお祈りをして始めました。 先週はどんな話だったか、何が出てきたか? ヨセフ「斧」、エステル「バプテスマ」、ヨセフ「死と復活を表していた」というようなことを話していました。 今日のところは違う場面になること話して、交互に読んでいきました。プリントしてきた絵も見たりしました。 アラムがイスラエルに侵入しようとしていたが、神の人エリシャがイスラエルの王様に知らせてくれていた。 ヨセフは「エリシャに召使いがいたんだ」「もしかしたらナアマン将軍が治ったもんでアラムの王も略奪とか禁止していたかもしれないよ。そして(イスラエルの)王様も変わっていたかもしれないよ。」 どうだろうね。アラムの王はだれかスパイがいるのか?と言っていたね。でもイスラエルにはエリシャが、神様の預言者がいること、その家来が知っていた。兵士同士で話していたかもね。どうして何回もイスラエルとの戦いに失敗するのかなと言っていたかもね。その場にいなくても神様がエリシャに見せて王に教えていた。知識のことばのことを話しました。 エリシャがドタンに行ったことを読むと、ヨセフが聖書についている地図で場所を確認していました。エステルも一緒に見ました。ヨセフは、「アマナ川あった。パルパルとかの」と言ってナアマンが言っていたアラムの川を見つけていました。 アラムから馬と戦車の軍隊がエリシャを捕まえにきた。若い召使いがそれを見て怖がった。エリシャが神様に祈ったね。見えるようにしてください。どうして? エステル「目開けてるよね?」 そうだよね。「火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」エリシャが見ていたのは、言いたいのは霊の世界のことを言っていた。うちらもそうだよね?イエス様が見えないけど共にいることは知ってるよね。 ヨセフ、エステル「いる!」 エリシャについていた火の馬と戦車は、エリヤから引き継いだよね。いつも共にいた。 エリシャは今度アラムの兵士たちを盲目にして打ってくださいと祈った。サマリヤに連れて来ると、またエリシャが目を開けてくださいと祈った。イスラエルの王は打ちますか?と聞いたら、エリシャはパンと水を与えなさいと食事をさせるように言

個人的疑問に関する神様からの答えとは・・・

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偶像礼拝のことで自分の中の世のものに依存する心を考えていることがあった。酒とかタバコを欲しがることがそれだろうけど、もっと細かい、例えば「コーヒーが好き」などの”自分の好み”も結局それと変わりなくて、「じゃあどこまでそれを”やめる”ことをすれば良いのか?」と、事ある毎に「これは偶像礼拝?」と言う思いで、頭の中でごちゃごちゃ考えが出てくることがよくあった。 先週から今日までのメッセージで、すでに神様から取り分けられていて清められることができる様にされていることをリマインドされた。 その前に考えていたことは、どこか律法的、不信仰、パリサイ人たちの失敗と同じ様なことをやっていたのでは?と気付かされた。まだすっきり理解できた訳ではないが、もっと普段の生活の中で「今やってることは神様のためか?」(この意識をいつの間にか忘れていた)と自分を聖別して捧げようとすることと、理解できていないことを頭でごちゃごちゃ考えることに時間を費やすより、今できるやるべきことに先に目を向けることだと示された。捧げる時に、神様から「聖い」とされていく、という事もメッセージから改めて受け取った。 ”受けた恵みをお返しする”事と、”互いに足を洗いあう”事の繋がりももっとしっかり理解したい。(男性)

~広島大学&福岡支部からのシェア~ 日曜礼拝「恵みとまこと No.17」より

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今日の日曜礼拝で、神様にたくさんの恵みを受けたから与えるものになるべきだということを学びました。また、自分を聖別して生きるべきであることについても学びました。神様のために自分を取り分けるというのは、ただ悪いことをしないだけではく、悪い考えを持たないこと、心配しないことも含まれているんだとわかりました。大学でいろんな友達がいても、私は神様のために大学で勉強しているから、神様の子らしく生きるんだということが改めて考えさせられました。神様の大きな愛にいることを感謝します! 礼拝後、福岡ブランチの婦人とシェアしました。彼女は日曜学校で子供たちに教えたことについてシェアしました。ヨラム王様の悪かった点についてのお話しでした。ヨラムは神様によくしてもらったことを忘れてしまって、エリシャを殺そうとしていました。どんなことがあっても、神様の大きなあいを忘れてはならない。神様は私たちがまだ弱かった時に私たちを愛してくださったから、私たちも他の人びとに恵を与えるべきだということを教えました。また、トラクト配りに行った時も、もらってくれない人もいたが、その人を悪く思わないで、愛するべきですよと子供達に話しました。 大学生活で時々疲れる、心配してしまうという状態になったこともありました。今日のメッセージやシェアで、心配する時の私はヨラム王様と同じ間違いをして、神様がどれだけ私を助けてきたかを忘れてしまったんだと考えさせられました。これからは、神様によくしてくださったことを頭に置いて生きていきます。神様の大きな恵をもっともっと数えていきます。(婦人)

今週のみことばカード from 各礼拝所「病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10:8)

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<名古屋礼拝所> <メンフィス礼拝所> <香港礼拝所:その1> <香港礼拝所:その2> <甲府礼拝所> <東京礼拝所> 病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。(マタイ 10:8 ) Heal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received, freely give. (Matt 10:8)

第二歴代誌6章の学びから

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旧約時代の歴史を通してみて、 神様は王様、そして民が自分達が犯し続けている罪から悔い改める事ができるように奇跡、そして裁きをおこしながら何度もチャンスを与えていることが今回の礼拝で分かった。 それは人間達が神様の恵みの中で生きることができるようにするためだった。 私も示された事を日々受け止めながら、清められていきたい。 そして他者の為には、やはり正直に語る事が私にできることだな。と思った。 麻痺している良心も、言葉によって清められ神様の心を思い出す。 それを行っていきたい。 (婦人)

神様に選ばれたもの

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神様に選ばれたものとして生きることについて学びました。神様は霊であるから、霊によって生きるべきだということを改めて考えさせられました。生活の中で、疲れると思ってしまったことがありました。しかし、今日のメッセージでは、環境をみるのではなく、霊の目で神様の存在を見るんだということも考えさせられました。イスラエル人がカナンに入る時も戦わなければなりませんでした。神様は勝利を与えると言いたにもかかわらず、戦いに出なければなりませんでした。今日聞いたみ言葉に励ませれて、神様がすでに私に勝利を与えたともっと意識し、毎日のするべきことをしていきます。  今日も、福岡ブランチの姉妹とメッセージのシェアしました。彼女は第二列王紀の6章の話しで霊の耳と目についてシェアしました。エリシャの召使いが沢山のアラム軍隊の馬と戦車を見た時に恐れていましたが、その人の霊的な目が開かれたら、イスラエル側にある火の馬と戦車の方がはるかに多かったことが見えるようになりました。霊的な目と耳を開くのは神様であるから、神様に聞くと開いてくださる。霊的な目と耳が開かれた私たちも今度は、他の人の目と耳を開く役割になるんですよと励ましを受けました。 神様のみ言葉で励まされたこと、新しい力を受けたことを感謝します!ハレルヤです!