本物の喜び

聖日礼拝のメッセージを聞いて、自分がやりたいことをしてくる喜びと、神様にもちいられてくる喜びが違うことを学んだ。
自分自身の頭の計算、好み、考えが神様の示す方向を邪魔して、神様が示す方を自分から拒否している事も神様に用いられる喜びを受け取れない一つなんだと、自分の過去を振り返りながら考えた。
まわりや感情がどうあれ、どっしりと構えている事が大切で、 反対に神様に用いられている時もでこれが当てはまるのだと思った。 神様は生きておられる方だから、示している事はその時その時によって違うだろう。 それを自然とわかり、神様に示されて従うことが出来るように礼拝に参加することが大切だと 改めて思った。

(名古屋礼拝所・婦人)




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