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7月, 2021の投稿を表示しています

トラクトポスティングー甲府支部ー

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トラクトポスティング感想 雨明けとなり、青空と珍しい鳴き声の鳥の姿を初めて目にして、嬉しい気持ちいっぱいで出発しました。 玄関先に出ていらっしゃる方も多く、皆さんがトラクトを手にしてくれました。 (婦人1) 人家の多いところでポスティングをしました。 玄関や庭にいる人が多く、手渡しするとことも出来ました。 (婦人2)

トラクト配りー甲府支部ー

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Cちゃんが、第一ペテロ5:7のみことばカードをたくさん作ってきてくれた。 みんな惹きつけられるようにトラクトもみことばカードももらいにきて、みことばカードは全部なくなってしまった。 子供もお母さんもじーっとそのカードを見つめてた。彼らの心が、聖霊様によって開かれ、みことばが入りますように。と願った。  (婦人A) 梅雨が明け、盆地特有の高温となりました。 配布している時、サラリーマン風の男性の方から話かけられました。 プロテスタントですか?と聞かれ、クリスチャンの方でした。 県内在住のTさんとおっしゃる方でした。 日曜日が勤務の為礼拝に行けず、現在はラジオ放送で礼拝を聴いているそうです。 甲府礼拝所に行ってみたいなぁとの事でした。 こちらの教会について少しお伝えしました。 礼拝時間が長いですね。 短いと行けるんだけどとの事でしたが、ぜひおいでくださいとお伝えしました。 神様に救って頂いたともお話して下さいました。  (婦人B) 今日は人通りが多く、若い人がトラクトをよく受け取っていました。  (婦人C)

聖書の学びから~甲府礼拝所~

神様は願ってくることを望んでおられるということを礼拝で学んで、あ、私また忘れていたということに気がついた。 神様に委ねることを忘れて、つい自分でやろうとしてしまう時が時々ある。 また神様が一番人間達に求めて欲しいものは知恵(真理)だということも知った。 私は知恵をずっと求めているが、そのために勉強したり、人に習ったりしても身にならないことが多い。 それすらも自分の力でやろうと手を伸ばしてとろうとしてはいけないんだということも知った。 神様が与えてくださるという信仰の上に立って、神様によって成長させていただきたい。 婦人

聖日礼拝より~甲府礼拝所~

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子供のバイトしていると、子供達は自分達が愛されてるものだってよーく知ってるなって思う。 だから、これして遊ぼうとかこれやりたいとか要求がストレートで素直で、それが叶えてもらえることもよーく知ってる。私も全力でやったる!って思う。 それでいて、他の子の宿題を見ている時はすっと身を引いて邪魔はしない。そういう謙虚さもある。 礼拝で学んだように子供のようになりなさい を子供達から学ぶことがたくさんある。 同じように神様の恵の中でたくさん愛されて、神様と同じ心になり、その思いを一緒に実現していきたい。 婦人A だれかを裁くことも高ぶりの一つ。他者を裁く人を、神様も裁かれる。今後は、人を裁かず、謙遜に生きたい。 また、栄光の冠を受けることは苦しみを受けることだと知った。 その苦しみを受けることから逃げるなという言葉が、今の自分にとって一番必要。 今後は全ての事から逃げず、毎日聖書を読んでいきます。 婦人B 高ぶるとは、偉そうにしている人の態度だと思っていたが、そうではなく、自分で高ぶっていないと判断すること自体が高ぶりだったんだと気がついた。 素直に、謙虚に神様の御心を一心に求めていくことが一番大切だと分かったのでそのように生きていきます。 婦人C 謙遜であること。神にいつも聞く心を持つ。 婦人D

福岡支部 聖日礼拝から

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■場所福岡礼拝所  ■参加者 ・婦人A ・婦人B ・子どもAちゃん ・子どもBくん ・子どもCくん ・婦人C ・子どもDくん  婦人D>急きょ仕事になったため欠席。  ■礼拝の様子 10:00 日本語礼拝ビデオ(神の安息No.1)の通り礼拝及び聖餐式をしました。  >献金の後子供たちは教会学校へ行き、聖餐式の時は全員参加しました。  12:00頃 ランチ ・マーボ豆腐丼、春雨スープ ・きな粉をかけて食べる水のゼリー(婦人Cさんの手作り) >子どもAちゃん、婦人C、婦人Aで盛り付けと配膳をしました。  >ランチをしながら、今日から新しいシリーズになりましたね。というと、婦人Cは「聖餐式だということでそのことを話されていた。心配や恐れは全部なくなった。半分だけとかではなくて、全部、100パーセントだって。」と言っていました。 婦人Bは「申命記を読んで、のろいのことを書いていた。もう途中読みたくなくなったよね。でも世はこんな状態だなって、、、」と言っていました。 婦人Cも「うん、恐ろしいね。」と答えていました。 そうですね。そののろいの源である罪、その罪を赦され義とされた私たちは罪の結果としてきていたのろいからも解放されるということで、それがなくなったのだからいまは神様の祝福をうけることができるようになった。恵みですね。と話しました。  >婦人Bは仕事があると言い、ランチを急いで食べて子どもAちゃんと一緒に帰りました。 >婦人Cと婦人Aは続けてシェアをしました。 婦人Cは「平安の反対が恐れや心配だということだと知らなかった、思わず礼拝婦人Bさんに聞いてしまったけど、そうなんだと分かった」と言っていました。 恐れや心配があるとき平安はない、それがないというのは平安な状態。恐れや心配は神様から来るものではない。神様は良き神様。創世記3章の話をしました。どういう形で罪を犯したのかを伝えました。神様の言われたことではなくサタンの誘惑してきたことばにだまされて、善悪を知る知識の木をとって食べてしまった。自分で善悪を判断するということがはじまった。これが罪であること、イエス様がしてくださったあがないについて教会学校のメッセージで学んだことと合わせて話しました。唯一の神を礼拝することをしなくなったことが原因でいろんな悪いことが始まった、神様のことばから離れて、自分が良いと思う自分の考

日曜礼拝の感想 〜神の器として生きる〜

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神様は人間の意思を尊重してくださる。強制はしない。 神様の御心の上にたった意思を持つ必要があることを学んだ。  また、自分の栄光を求めず、影で働く方という聖霊様の品性を知った。 もっと神様、聖霊様のことを意識していきたい。 24時間クリスチャンであるということを忘れずに神の器として生活していきます。 ( 甲府支部 ・婦人)