福岡支部 聖日礼拝から
■場所福岡礼拝所
■参加者 ・婦人A ・婦人B ・子どもAちゃん ・子どもBくん ・子どもCくん ・婦人C ・子どもDくん
婦人D>急きょ仕事になったため欠席。
■礼拝の様子 10:00 日本語礼拝ビデオ(神の安息No.1)の通り礼拝及び聖餐式をしました。
>献金の後子供たちは教会学校へ行き、聖餐式の時は全員参加しました。 12:00頃 ランチ ・マーボ豆腐丼、春雨スープ ・きな粉をかけて食べる水のゼリー(婦人Cさんの手作り)
>子どもAちゃん、婦人C、婦人Aで盛り付けと配膳をしました。
>ランチをしながら、今日から新しいシリーズになりましたね。というと、婦人Cは「聖餐式だということでそのことを話されていた。心配や恐れは全部なくなった。半分だけとかではなくて、全部、100パーセントだって。」と言っていました。 婦人Bは「申命記を読んで、のろいのことを書いていた。もう途中読みたくなくなったよね。でも世はこんな状態だなって、、、」と言っていました。 婦人Cも「うん、恐ろしいね。」と答えていました。 そうですね。そののろいの源である罪、その罪を赦され義とされた私たちは罪の結果としてきていたのろいからも解放されるということで、それがなくなったのだからいまは神様の祝福をうけることができるようになった。恵みですね。と話しました。
>婦人Bは仕事があると言い、ランチを急いで食べて子どもAちゃんと一緒に帰りました。
>婦人Cと婦人Aは続けてシェアをしました。 婦人Cは「平安の反対が恐れや心配だということだと知らなかった、思わず礼拝婦人Bさんに聞いてしまったけど、そうなんだと分かった」と言っていました。 恐れや心配があるとき平安はない、それがないというのは平安な状態。恐れや心配は神様から来るものではない。神様は良き神様。創世記3章の話をしました。どういう形で罪を犯したのかを伝えました。神様の言われたことではなくサタンの誘惑してきたことばにだまされて、善悪を知る知識の木をとって食べてしまった。自分で善悪を判断するということがはじまった。これが罪であること、イエス様がしてくださったあがないについて教会学校のメッセージで学んだことと合わせて話しました。唯一の神を礼拝することをしなくなったことが原因でいろんな悪いことが始まった、神様のことばから離れて、自分が良いと思う自分の考えで、生きている。神様に感謝することもない、ほめたたえることもしない。偶像礼拝。今の世の中はその状態。それでおかしくなってしまい心配おそれが来るし、いろんな問題が起きることになった。イエス様が私たちのその罪をおって十字架にかかってくださったから、最近学んでいるように霊とまことによって神様を礼拝する者へと戻された。心から神様をほめたたえて礼拝するといろんな問題が解決していく。だから、毎週日曜日を聖別してささげ礼拝することが大事であることを伝えました。
>婦人Cさんは「確かに前よりかは心配やおそれをしなくなったなと思う」と言っていました。
>大人シェア中、子どもCくん、子どもBくん、子どもDくんは3人で楽しくご飯を食べていました。先に食べ終わった子どもCくんとBくんは自転車で帰りました。子どもDくんはまだ食べていました。 13:05頃 婦人Cさんは皿を洗いをして、これから仕事だと言って子どもDくんと帰りました。その後支部のオンラインに婦人Aのみ参加しました。