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ペテロの手紙 第一 4章8節「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」

小さい頃から、「互いに愛し合う事」はキリスト教で大事な戒めだと知ってたが、 イエス・キリストが教えた全ての細かいことが、この戒めの中に入ることが今日分かった。 また、歳を重ねてきた中で、牧師先生が聖書を通して語られてる御言葉が、 私の今までの実際の体験とマッチすることが多くあり、牧師先生のメッセージに対して、 「まさにその通り。私がそれを体験しました」と言うことできる。 とても大きな励ましになります。(男性)

名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

先にイエス様が私を愛してくださった。私もイエス様を愛していますと言っておきながら、言ってることと心で思ってることと行動に食い違い、偽善がありました。毎日、これも偽善かもしれないと教えられることが多くなりました。だけど、暗くならずにイエス様がこのような私にも恵みから外れることのないように、悔い改めへと導いてくださってることを感謝します。メッセージで教えられた、1ヨハネ2:18「行いと真実」を持って愛すること。神様の恵みによって、私も神様の心と同じくして、偽りではなく神様から流れてくる本物(真実)の愛の行いをしていきたいです。
(婦人)

福岡支部:聖日礼拝からのシェア

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律法で咎は四代まで、でも恵みは千代までと言っている。恵みの方が大きいということ。
エペソ1:7やローマ5:6で、悪い者のために死ぬことなどありえない、善人のためなら死ぬことがあるかもしれないが、と言っていた。そうだなと思った。罪人のために死なれると言うことがどれだけの恵みなのか、簡単なことではないと言っていた。そのことを考えながら聞いていた。
(婦人)

イエス様が死なれたのは罪人のためで、それが他の人ではなくて自分の罪のためであるということ。私はローマ5:8のみことばがわかったとき衝撃だった。私たちがまだ罪人であったときに、イエス様のことなど知らずに生きていたときに、もしかしたら悔い改めないかもしれないのに、それでもすでにイエス様は私のために死んでくださったという神様の愛はすごい。恵みは本当に大きい。
(婦人)

自分の罪のために死んでくださったということについて、一週間考えながら過ごしましょう。と話して、祈って終わりました。




広島支部:聖日礼拝からのシェア

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今日の礼拝で神様の豊かな恵みを色々な箇所の中で見ることができました。今まで何回も読んだことのある箇所だったが、今日はまた別の新しい真理を知ることができたことを感謝します! 神様の恵み(哀れみ)はさばきよりもずっと大きいことを感謝します!この深い恵みで、イエス様が世に送られてきて私の罪のために死んでくださったことも感謝します! 神様の愛の中に既にとどまっている私は、今度他の知らない人々に伝える器として生きていきます。 (婦人)
今までの礼拝で学んだこと通して神様の大きな愛のこと、また私たち人間がどれだけ小さい者であるかのことが分かってきたとシェアしました。そのために、小さい者たちの私たちはその愛にとどまるしかない。 (婦人)




名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

霊的には真理に属する者とされていて、自分でもそういう者と思っていたが、その深い意味を全然行なっていなかった。昨日の大人のCSのメッセージから繋がって、神の器から(パスターやまさみ先生から)の忠告や教えに対して、いつもこれはできている、これはできていないと自分で決めていた。自分でできていると決めることは、動機に自分のため、自分を誇ろうとする心があったからと気づいた。だから結局は行なっていないことと同じだと思った。ひとり子を罪人のために送ってくださった神様から見れば、何にも誇れる者ではないことがわかってよかった。 (婦人)
メッセージの中で、ローマ5章「イエス様のように悪い者の為に死ねますか?」と語られた時に、無理だと思った。自分は罪を赦されて救われたにも関わらず、悪い人と思えるこの人はどうですか?と訴えていたことを思い出し心刺されて涙がこみ上げてきた。イエス様は全ての人のために死なれ、愛を明らかにされて、模範となってくださった。 弟子たちはイエス様を愛すると言ったのに裏切ったように、自分のために人を愛せないのは偽りとわかりました。 ヤコブ2:13「あわれみは裁きに向かって勝ち誇る」と教えられ、恵みの下で生きていたいです。 (婦人)
恵みの大きさに感謝します。神様の大きな愛(恵)イエス様の十字架と復活を真剣に考え、教えられ、他の人の為に行う。 正しく生きつづけ恵を流すのに選ばれた(みことばできよめつづけられていることに感謝します)  ヨハネの所から真理に属する生き方で神のことばに従う「互いに愛し合う」心から真実をもってする、かたちだけの私ではないか?と考え反省した。ヨハネ13:35「互いの間に愛が」あるなら、それによってイエス様の弟子であることをすべての人が認める」このみことばがはいった。17章のイエス様の祈りに(考えられない大きな恵)感謝します。 (婦人)
ヨラム王は偶像礼拝をしていて神様に裁かれるという結果に終わってもよかったのに、それでも救われたというのが自分も同じだと思った。 (男性)

東京支部:聖日礼拝後のシェア

(大人のためのCS)(聖日礼拝)(混合) 2つのメッセージを通して学んだことは、神様が私たちに恵みを与えて下さるのは、私たちを愛してくださっているからだけでなく、恵みを受けた者が周囲にその恵みを分け与えていくという期待があってのこと。恵みを受けるだけで満足してしまうと、いずれ祝福を失ってしまう。行いを伴う信仰が自信へとつながり、それがシュネムの女のようなガッツある信仰、強い確信となることが霊的成長なのだとわかった。クリスチャンらしい品性、行いを以って、自分にできることをやっていきたい。 (婦人)
(収穫者会):ヨラムの「主がこの3人の王を召されたのは・・」という言葉が、神様を遊びで考えていることばだと分かることを学んだ。人生を真剣に生きていないで、自分のその時の満足を求めている偽りの姿、言葉遣いを改めて知って、自分もそうやって話している時がないかチェックした。 (大人のためのCS):シュネムの女が、ただ心で神様しかできないと信じて、シャローム、としか言わなかったこと。心に信じていることで行動することが、真理に生きる生き方だと分かった。 (聖日礼拝)愛し合うことの行動をすることを改めて学んだ。土曜日のメッセージを思い出しながら、子供に「心からする」ことを教える必要はない、と思わされた。子供は真理に生きている。真理に生きるとは、霊によって生きることだと分かった。 (婦人)
(聖日礼拝)今日のメッセージでたくさんのことが話され、たくさん神様から受け取ることできた。最初は、2列王記3章14節 今週の暗唱聖句の意味が全然理解できなかったが、パスターの説明がわかりやすくて、あとでわかった。特に、『恵は罪よりさらにでかいもの』、また『頭だけでの真理だと、意味がない』という二つの事については、前も知っていたが、改めて行動することの重要性が今日わかった。 (男性)
(聖日礼拝)罪の影響により、子孫の4代まで神様がさばき与えるのに対し、恵は1000代及ぶという違い、かなり大きですね。 今日、地質学な説明で、石筍のことを使って、その恵の意味が説明されたのが、とてもわかりやすかったです。 (婦人)

(聖書研究)改めて、礼拝の日の自分と、他の日の自分、区別があること自体を神様は嫌う。悔い改めて行く。 (収穫者会)ヤロブアムの罪は、『クリスチャンでありながら、神様は(心の中)いない、と言ってる』。ひどいこと…

名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

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真理に属するものはイエス様のことばに従うもの、互いに愛し合う事というところで、形だけでなく、心から聞き従ってるだろうかと考えると、みことばではなくて、感情で動いてしまい、従っていない所がある。
教会にいる時だけではなく、日常においても、自分の心の中に偽りがないかと考えた。
みことばを聞くだけで満足して、行いをしていない。自分の事ばかりで水(ことば)を流していない。
自分がイエス様の元に来れたのは、何もわからない自分にイエス様のことばを流してくれた人を神様が置いて下さったから。
何が真理なのかわからない人に流していきたいと思いました。 (婦人)

ローマ5章から罪というものは深いんだと思った。自分でも罪や悪いところに失望することがあるけど、イエス様がそのために死んでくださったことの恵み、本来、罪を赦されることなどあり得ないこと。いつもメッセージで教えられます。
偽物のヨラムはヨシャパテのゆえに勝利した。普通でないこと。恵みであること。
イエス様によって義とされたことに感謝が溢れます。 (婦人)


名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

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ヨラム王の性格からヨシャパテ王の性格に変えられたことを感謝します。

反逆のこころが罪の本質であると学びました。
神様に反逆したいと思っているわけがないと思っていたけど、礼拝中に、日頃「まぁ、いっか」「できるのかな」「後でいいや」など、後回しにする癖や不信仰、疑う心が反逆のこころの事なのではないかと思いました。
僕は、悪い結果が起きた時だけ「神様ごめんなさい。」としていたけど、僕の軽く考えることや不信仰を悔い改めないといけないのかなと思いました。今までそのことを罪だと思っていなかったし、その事が罪だとわかってよかったです。今までも教えてもらっていたけど受け取れないでいたのだとわかりました。
(男性)

礼拝でヨラム王とヨシャパテ王の話から、ヨラム王がヨシャパテ王により、神様の恵みを受ける事が出来たように、私もイエス様により、恵みを受ける者である事感謝です。
そして、ただ単に恵みを受けるだけの存在ではなく、流す者になる事を学んだ。
恵みを流す者として周りに流す時、自分の言動、生き方が昔と変わらない状態

だとしたら、たとえ正しい事を言ったりしても、はたして周りの人は受け入れるのだろうか?と思った。自分の言動、生き方はどうなのか?再度チェックしていきたいと思った。
そして、神様からの恵みをもっともっと受け取り、周りに流す者へと変えられたい (婦人)