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1ヨハネ3章18節「行いと真実をもって愛そうではありませんか。」

聖日礼拝メッセージは「恵みとまこと」についてでした。 先にイエス様が私を愛してくださった。私もイエス様を愛していますと言っておきながら、言ってることと心で思ってることと行動に食い違い、偽善がありました。毎日、これも偽善かもしれないと教えられることが多くなりました。だけど、暗くならずにイエス様がこのような私にも恵みから外れることのないように、悔い改めへと導いてくださってることを感謝します。メッセージで教えられた、 1 ヨハネ3 :18 「行いと真実」を持って愛すること。神様の恵みによって、私も神様の心と同じくして、偽りではなく神様から流れてくる本物 ( 真実 ) の愛の行いをしていきたいです。 (婦人)

礼拝メッセージ「恵みとまこと」より

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律法で咎は四代まで、でも恵みは千代までと言っている。恵みの方が大きいということ。 エペソ1:7やローマ5:6で、悪い者のために死ぬことなどありえない、善人のためなら死ぬことがあるかもしれないが、と言っていた。そうだなと思った。罪人のために死なれると言うことがどれだけの恵みなのか、簡単なことではないと言っていた。そのことを考えながら聞いていた。 (婦人) イエス様が死なれたのは罪人のためで、それが他の人ではなくて自分の罪のためであるということ。私はローマ5:8のみことばがわかったとき衝撃だった。私たちがまだ罪人であったときに、イエス様のことなど知らずに生きていたときに、もしかしたら悔い改めないかもしれないのに、それでもすでにイエス様は私のために死んでくださったという神様の愛はすごい。恵みは本当に大きい。 (婦人) 自分の罪のために死んでくださったということについて、一週間考えながら過ごしましょう。と話して、祈って終わりました。

恵み豊かな神様

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今週も聖日礼拝メッセージは「恵みとまこと」についてでした。 今日の礼拝で神様の豊かな恵みを色々な箇所の中で見ることができました。今まで何回も読んだことのある箇所だったが、今日はまた別の新しい真理を知ることができたことを感謝します! 神様の恵み(哀れみ)はさばきよりもずっと大きいことを感謝します!この深い恵みで、イエス様が世に送られてきて私の罪のために死んでくださったことも感謝します! 神様の愛の中に既にとどまっている私は、今度他の知らない人々に伝える器として生きていきます。 (婦人) 今までの礼拝で学んだこと通して神様の大きな愛のこと、また私たち人間がどれだけ小さい者であるかのことが分かってきたとシェアしました。そのために、小さい者たちの私たちはその愛にとどまるしかない。 (婦人)

礼拝メッセージ「恵みとまこと」より気付かされたこと

霊的には真理に属する者とされていて、自分でもそういう者と思っていたが、その深い意味を全然行なっていなかった。昨日の大人の CS のメッセージから繋がって、神の器から(パスターやまさみ先生から)の忠告や教えに対して、いつもこれはできている、これはできていないと自分で決めていた。自分でできていると決めることは、動機に自分のため、自分を誇ろうとする心があったからと気づいた。だから結局は行なっていないことと同じだと思った。ひとり子を罪人のために送ってくださった神様から見れば、何にも誇れる者ではないことがわかってよかった。 (婦人) メッセージの中で、ローマ 5 章「イエス様のように悪い者の為に死ねますか?」と語られた時に、無理だと思った。自分は罪を赦されて救われたにも関わらず、悪い人と思えるこの人はどうですか?と訴えていたことを思い出し心刺されて涙がこみ上げてきた。イエス様は全ての人のために死なれ、愛を明らかにされて、模範となってくださった。 弟子たちはイエス様を愛すると言ったのに裏切ったように、自分のために人を愛せないのは偽りとわかりました。 ヤコブ 2:13 「あわれみは裁きに向かって勝ち誇る」と教えられ、恵みの下で生きていたいです。 (婦人) 恵みの大きさに感謝します。神様の大きな愛(恵)イエス様の十字架と復活を真剣に考え、教えられ、他の人の為に行う。 正しく生きつづけ恵を流すのに選ばれた(みことばできよめつづけられていることに感謝します)  ヨハネの所から真理に属する生き方で神のことばに従う「互いに愛し合う」心から真実をもってする、かたちだけの私ではないか?と考え反省した。ヨハネ13:35「互いの間に愛が」あるなら、それによってイエス様の弟子であることをすべての人が認める」このみことばがはいった。17章のイエス様の祈りに(考えられない大きな恵)感謝します。 (婦人) ヨラム王は偶像礼拝をしていて神様に裁かれるという結果に終わってもよかったのに、それでも救われたというのが自分も同じだと思った。 (男性)

東京支部:聖日礼拝後のシェア

(大人のための CS )(聖日礼拝)(混合) 2 つのメッセージを通して学んだことは、神様が私たちに恵みを与えて下さるのは、私たちを愛してくださっているからだけでなく、恵みを受けた者が周囲にその恵みを分け与えていくという期待があってのこと。恵みを受けるだけで満足してしまうと、いずれ祝福を失ってしまう。行いを伴う信仰が自信へとつながり、それがシュネムの女のようなガッツある信仰、強い確信となることが霊的成長なのだとわかった。クリスチャンらしい品性、行いを以って、自分にできることをやっていきたい。 (婦人) (収穫者会) : ヨラムの「主がこの3人の王を召されたのは・・」という言葉が、神様を遊びで考えていることばだと分かることを学んだ。人生を真剣に生きていないで、自分のその時の満足を求めている偽りの姿、言葉遣いを改めて知って、自分もそうやって話している時がないかチェックした。 (大人のための CS ) : シュネムの女が、ただ心で神様しかできないと信じて、シャローム、としか言わなかったこと。心に信じていることで行動することが、真理に生きる生き方だと分かった。 (聖日礼拝) 愛し合うことの行動をすることを改めて学んだ。土曜日のメッセージを思い出しながら、子供に「心からする」ことを教える必要はない、と思わされた。子供は真理に生きている。真理に生きるとは、霊によって生きることだと分かった。 (婦人) (聖日礼拝) 今日のメッセージでたくさんのことが話され、たくさん神様から受け取ることできた。最初は、 2 列王記 3 章 14 節 今週の暗唱聖句の意味が全然理解できなかったが、   パスターの説明がわかりやすくて、あとでわかった。特に、『恵は罪よりさらにでかいもの』、また『頭だけでの真理だと、意味がない』という二つの事については、   前も知っていたが、改めて行動することの重要性が今日わかった。 (男性) (聖日礼拝) 罪の影響により、子孫の4代まで神様がさばき与えるのに対し、恵は1000代及ぶという違い、かなり大きですね。 今日、地質学な説明で、石筍のことを使って、その恵の意味が説明されたのが、とてもわかりやすかったです。 (婦人) (聖書研究) 改めて、礼拝の日の自分と、他の日の自分、区別があること自

名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

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真理に属するものはイエス様のことばに従うもの、互いに愛し合う事というところで、形だけでなく、心から聞き従ってるだろうかと考えると、みことばではなくて、感情で動いてしまい、従っていない所がある。 教会にいる時だけではなく、日常においても、自分の心の中に偽りがないかと考えた。 みことばを聞くだけで満足して、行いをしていない。自分の事ばかりで水(ことば)を流していない。 自分がイエス様の元に来れたのは、何もわからない自分にイエス様のことばを流してくれた人を神様が置いて下さったから。 何が真理なのかわからない人に流していきたいと思いました。 (婦人) ローマ5章から罪というものは深いんだと思った。自分でも罪や悪いところに失望することがあるけど、イエス様がそのために死んでくださったことの恵み、本来、罪を赦されることなどあり得ないこと。いつもメッセージで教えられます。 偽物のヨラムはヨシャパテのゆえに勝利した。普通でないこと。恵みであること。 イエス様によって義とされたことに感謝が溢れます。 (婦人)

名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

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ヨラム王の性格からヨシャパテ王の性格に変えられたことを感謝します。 反逆のこころが罪の本質であると学びました。 神様に反逆したいと思っているわけがないと思っていたけど、礼拝中に、日頃「まぁ、いっか」「できるのかな」「後でいいや」など、後回しにする癖や不信仰、疑う心が反逆のこころの事なのではないかと思いました。 僕は、悪い結果が起きた時だけ「神様ごめんなさい。」としていたけど、僕の軽く考えることや不信仰を悔い改めないといけないのかなと思いました。今までそのことを罪だと思っていなかったし、その事が罪だとわかってよかったです。今までも教えてもらっていたけど受け取れないでいたのだとわかりました。 (男性) 礼拝でヨラム王とヨシャパテ王の話から、ヨラム王がヨシャパテ王により、神様の恵みを受ける事が出来たように、私もイエス様により、恵みを受ける者である事感謝です。 そして、ただ単に恵みを受けるだけの存在ではなく、流す者になる事を学んだ。 恵みを流す者として周りに流す時、自分の言動、生き方が昔と変わらない状態 だとしたら、たとえ正しい事を言ったりしても、はたして周りの人は受け入れるのだろうか?と思った。自分の言動、生き方はどうなのか?再度チェックしていきたいと思った。 そして、神様からの恵みをもっともっと受け取り、周りに流す者へと変えられたい (婦人)

名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

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支配すると行うのことばが心を強くしました。。私はヨシャパテのように支配するもとされた。主を恐れ、主のことばを信じ、これを謙遜に受け、従う。第二列王記3:9からみことばのききんにならないように本物、(主のことば)真理に従う。いつも祈っていないとダメだと考えた。ヨラムのよに、にせもの、本当のように見せている生き方は、神様から恵とまことはない。みことばが一番大切であるとますます強く分かった。「互いに愛し合う」これが自然にできる者となる。今日もみことばにより聖められ感謝しました。 (婦人) 週の間、偽善について考えていた。自分の行動を振り返ってあれもこれもと思い当たることがあった。今日のメッセージから、何か行動した時も、しなかった時も心がざわついているときは、真理がなくてみことばの飢饉が起きている状態だとわかった。イエス様がゆえに救われているのに、それを自分が、、と勘違いしているときはイエス様がいない。「クリスチャン」であるということだけに甘んじていたと思う。真理をたくさん聞いているから言い訳はできない。心と行動がまっすぐでありたいと思った。 (婦人) 自分の中の偽りが何かわからなくなる時があるけど、聖霊様は教えてくれていたし、知っているのにやらないところに更に言い訳をしてやっていないことはアダムが罪を犯す時、知っていてやったことと同じと気付かされた。コリントの教会について、弱いとか愚かなことが問題ではなく、自分は知者だと思うことが問題で偽善だと聞いて、与えられている戒め「互いに愛し合いなさい」ができないのは偽り者、自分は正しいものだと思ってる偽善が原因なのか?と思わされた。今日のメッセージで思うところはいっぱいあって、大切なことを教えられている。神様の恵みとことばが必要です。もっと神様を求めていきたい。 (婦人) 水がなくなったという状態がみことばの飢饉であるということと、みことばに従って行いがないと恵みから外されるということが自分に当てはまるので印象に残った。 (男性)

東京支部:聖日礼拝後のシェア No.2

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(聖日礼拝)神のことばは真理であり愛である。偽りがないということが、すなわち愛し合うということ。困ってる人を助けるなど、広い意味での愛。愛がないと真理に立っていないということもわかった。 (男性) (聖日礼拝)知恵がない、愚か、ということは問題ではなく、偽りが問題。謙虚であれば良い。 (大人のためのCS)土曜も冒頭で同じことを言っていた。弱さを認めた人がクリスチャン。ただ、謙虚とバカは違う。何もできないこととは違う。自分の弱さを認めた後に、神様の知恵によって、聡く生きるという次のステップがあるのだと思った。 (男性) (聖日礼拝) 伝道する上で、この世の人には良心があるが、神様に対して罪を犯しているという意識がないので、悔い改めに繋がらないということがわかった。イスラエルの罪は70年かかって悔い改めた。一般の人に伝道していく上で、まずは自分自身がわかっていないといけない。原罪については、罪を犯すものとして生まれついているというのが、間違った考えだということを学んだ。イエス様もアダムの子孫。個々人として、自分の行いによって、神様に対して罪を犯す。また遜ることも重要。アモス書の「主の御言葉の飢饉」が心にきた。御言葉を心に置くことが大切。恵みと真はコインの裏表。恵みをとると、真が来る。最後に、自分はヨシャパテになる必要があることを学んだ。 (婦人) (エゼキエル書の学び)エゼキエル8章の学びから、シャファンの家系(神様に熱心に仕えてきたはずの家系)が、家の中で偶像礼拝をしていた、偽善者だった。原因は、内側におられる神様との交わりがない、ということ。心の割礼を受ける必要がある(ヌースの覆いを取り除く)というのが印象に残った。 (収穫者会)1コリントから、その時コリントの教会に起きていた問題が高ぶり。そして偽善だということを学んだ。聖書の御言葉は、神様が啓示して下さらなければ理解することができない、聖霊の助けが必要。 (大人のためのCS)「預言者のともがら」が、実はオバデヤのことで、彼はもともとアハブ王に仕える者だったが、(全てを捨てて)預言者になったということを聞いた。ちょうど、世の中の仕事をする虚しさを感じていたので、私も神様の仕事をする者に変えられていくことを目指したいと思った。 (聖日礼拝)今週は総じて「偽善」について教えられた。II列王記の

東京支部:聖日礼拝後のシェア No.1

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(大人のためのCS)第二列王記4章より、オバデヤの義により、他の人々が救われたことを学んだ。私が他の人に油を広めることで、他の人が「油の器」となることができるとわかった。 (聖日礼拝)第二列王記の3章より、私はヨラムだということがわかった。旧約聖書には沢山の不信仰による酷い行いが書かれていて、自分とは関係ないように思っていた。けれど、今回は自分をヨラムとして見ることで、新しい聖書の読み方をした。 (婦人) (収穫者会)第二列王記の3章からのメッセージだった。ソドムとゴモラの例について書かれている。ロトは真剣に自分の生き方を変えなかったので、神様の恵から漏れ、後の歴史に問題を起こした。 (大人のためのCS)収穫者会のメッセージと繋がり、謙虚に受け止めた。まさみ先生(牧師婦人)からも沢山助けてもらった。自分のことを考える心をなくすべき。 (婦人) (収穫者会)これまでまだ、この世の知恵を求める傾向があった。聖書には、私たちは「キリストの心」が与えられていると書いてある。このことばの意味がもっと良くわかりました。 (大人のためのCS)私たちには聖霊が与えられている。従順な器として、聖霊の導きに従うべき。 (聖日礼拝)ローマ5章より、なぜ律法が与えられたのかが、とてもクリアになった。 (婦人) (収穫者会)1コリントから当てはまることがあって、それは自分がクリスチャンとして、信じていることに対して、世から笑われる者だということを忘れていた。ちょうど今週あった出来事で、公園に10才くらいの子供たちがいて、彼らにイエス様と天国のことを少し話したら、その子供たちからは、笑って「あり得ない。ただの宗教だ」と言われたばかりだった。 (大人のためのCS)神のことばが与えられる(聖書または神の器を通して)時、ほとんどの場合が私の考えとは違うことで、何度もショックを受けたことがある。けれど、それは(私にとって)良いテスト。 (聖日礼拝)正直、「原罪」について何が間違った教えなのかクリアではなかった。けれど、今日のメッセージから、とても良く理解することができて、自分の信じることも変わった。 (男性)

名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

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偽善を取り除くように言われていたことは、 私について言われていたこと。ヨラムやヤロブアムの話など、 偽善とはこういうものであるといろいろ教えられてわかりやすかっ た。最近偽善について教えられても、 自分にとって何が偽善なのかわかっていなかった。 ヨラムやヤロブアムの具体例に当てはめ、 自分の中にある偽善を消していきたい。 偽善を消していくということ、みことばを行うこと、 心から行うということを教えられて感謝。 (婦人) 人が罪を犯すのは自分の責任において罪を犯すことであるにもかか わらず、アダムのせいにすること、神様は目に見えないので、 罪に関して、 人間が適当に基準や言い訳を設けて罪を軽く扱うことは、 自分が長年にわたって無意識に築き上げた癖としてついている。 気を付ける。 (男性) 一人の人の罪によって罪が入ってきて、同様に、 キリストによって罪が贖われていったということ、 またイエス様の贖いということを具体的に教えてもらったことがよ く理解できた。第2列王記では、 ヨシャパテ王がイエス様のひな型だが、 ヨラム王と一緒に行っているときに水がなくなったことは、 主のことばを受け取らなくなったことの象徴であると学ぶことがで きて、新しく知ることができて良かった。アダムの罪が、 多くの罪として広がったこと、多くの違反につながったが、 私は一人の義によって支配するものとされた、 これが強いみことばで、 この恩恵にあずかっているものであると自覚する。 (婦人)

甲府支部:聖日礼拝からのシェア

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クリスチャンとして世で生きるとき、 クリスチャンだからいい子でいなきゃという意識がどこかであった。 まだ汚れている部分もあるし、できてないことにもかかわらず、 良い格好をしていたと思う。それは偽善。 いまの私で、私にできることがあるから 神様に導かれた通り、できることをやっていきたい。 (婦人) 互いに愛し合う事を大切に、やるべき事を実行して行きたいと思いました。 またそれを必要とされる方を神様教えて下さい。 (婦人) 「コリントの教会の問題」というところで、 自分も勉強してるつもり、聖書を読んでいるつもりになっていた。 また自分が罪人であることを忘れていたが、それは神様に救われたことへの感謝も忘れていたということです。 改めて謙遜になって日々を送っていこうと思いました。 (婦人) 「謙遜」と言う言葉をきいて、謙虚さを失っていたと感じた。 もっと広いところ、もっと広いところと、自分の手の届く範囲以外のところに意識が向いてしまっていた。 またここで悔い改めて、自分のできる範囲、神さまが示してくれたところに、しっかり向き合っていきたいと思った。 「律法」が日本人でいう「良心」だということを知ったけれど、 まだ心では理解できていないので、これからさらに学んでいきたい。 ただ、今日、「見えないもの」の大事さを改めて感じた。 見えるものだけに捉われないで、ちゃんと大事なことを落とさないようにしたいです。 (婦人)

名古屋支部:大人のためのCS

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やもめになってしまったオバデヤの妻の話から、神様の為につかえている人は 神様が絶対に養ってくださるという信仰、ガッツが来ることを改めて学んだ。 以前の礼拝で、献金をしている人も、神様が絶対に返してくれるというガッツが 自然と湧いてくると教えてもらったことを思い出し、聖書に書かれていることを 行うとガッツにつながることを改めて学んだ。 (男性) 礼拝で油を求めていかないと、止まってしまう事、 それは“自分はもう十分にある”という高ぶりと怠慢的な考えが そういう態度に現れる事を学んだ。 神様が与えてくださった賜物もその一つだと思った。 十分だとは考えた事はなかったが、 いい加減に考えて、磨こうとしてこなかった 所があったので、その点は反省だった。 一つ一つ楽しみながら磨いていき、もっともっと神様の油注ぎを受けたい。  (婦人)                                

メンフィス支部:聖日礼拝からのシェア

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今日も”偽善”のことが語られていたが、 信仰を持って告白することと、偽善とは紙一重というか、それに変わってしまう。 ”信仰”が行いとならないならそれは偽物の信仰だと前に教えられたが、 真理を聞いて、わかって告白した「つもり」が、実は分かっていなかったっていうこと。 ”恐れ”と”肉”が邪魔しているので、もっと自分を神様に明け渡して”自由”に行えるように変えられていきたい。 自分自身の”偽善”を無くすのは、まずそこからだと思う。 (男性)

香港支部:収穫者会

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今回気づいたのですが、ドリルに記載していただいたように、ヤロブアムの罪という言葉が罪の代表格のように、何か所にも書かれていること。そして、私が取り違えていたのですが、それが単に他の神々への偶像崇拝ではなく、ヤーベの神へということになっていた点です。それを自分への民意をつかんでおくためにやったというのは、自分のために本当の神様を利用したということで、単純な偶像崇拝よりも、もっと質の悪い罪でこれだけ何度も書かれて当然の罪だと思いました。 朝焼けに赤く染まった水が、イスラエルの救いのためのいけにえの血であったこと、また、メシャの息子の血も、神様にとってなだめのかおりとなったこと。誰に対しても神様の愛が大きく有るということも学びました。 (婦人)

東京支部:聖日礼拝からのシェア No.2

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東京礼拝所では、外出自粛を受けて、大半のメンバーが在宅でオンライン配信にて礼拝を行い、毎週聖日礼拝後のランチタイムに、二つのグループに分かれて御言葉の分かち合いをしています。こちらは二つ目のグループのシェアになります。 ——————————- [Fri] 収穫者会(金曜)からのシェア [Sat] 祈祷会(土曜)からのシェア [Sun] 聖日礼拝(日曜)からのシェア ——————————- 婦人: [Fri] 弟子、クリスチャンの高ぶりについて学んだ。神のことばを聞くには聖霊様の導きがないと聞けない。 神の御心を知り、行うことも出来ない。聖さと謙遜さが必要。いつも頭に入れておく。 [Sun] ヨラムvs.キリストの比較において、偽りと真理の違い、恵みについて学んだ。恵が必ず勝利する。 ネガティブな考えは、消えて無くなる、考えすらしなくなる。(=偽りは勝利できない) 婦人: [Sat] 真理の霊vs.偽りの霊について学んだ。琴をひいた時に御言葉が語られた。御言葉を語る時に霊が流れる。 今、この時に、神様のことばを語ることが大切。トラクトは4月から一時休止しているが、別の方法でみことばを語っていきたい。 子供(男児): [Sun] ヨラムとヨシャパテとエドムの王が、モアブと戦った話を聞いた。戦いに行った朝、水が血になってたが、それは敵を勘違いさせるためのものだった。 あと、ハープを弾いた時に、神様のことばが聞こえた。(全体の感想)神様はすごい。 婦人: [Sun]「エリシャは言った。私が仕えている万軍の主は生きておられる(II列3:14)」の「万軍」という言葉が印象的。つまり、軍隊を持っていく国(神の国)ということ。 また、「ヨシャパテのために」エリシャが神のことばを語ったのと同じく、私たちもキリスト(十字架)にあって恵みを受けている。恵み。感謝。 イエス様が死んでくださったことをいつも謙遜になって心にとめたい。 婦人: [Sat] II列王3章より、モアブ人の呪いについて、実は2章のエリコの話からずっと「呪い」がテーマになっている、ということを聞いた。 呪いは塩によって清められた。塩=ことばを語ること。(=ヘブル語でDavar)自分の言った通りになると信じる。 [Sun] 今度は同じ箇所から

東京支部:聖日礼拝からのシェア No.1

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東京礼拝所では、外出自粛を受けて、大半のメンバーが在宅でオンライン配信にて礼拝を行い、毎週聖日礼拝後のランチタイムに、二つのグループに分かれて御言葉の分かち合いをしています。 まず一つ目のグループのレポートになります。 ——————————- [Sat] 祈祷会(土曜)からのシェア [Sun] 聖日礼拝(日曜)からのシェア ——————————- 婦人: [Sat] アモス書に「神様は必ず預言者に、ことばを示す」と書いてある。その通り、私たちは「地の塩」として、いつも語るべき者。 [Sun] 母と旧約を通読してきた中で、まさみ先生が「説明加えることはしないで、そのまま読む」ことを勧めてくれた。これから新しく新約聖書に入るところで、今度はまさみ先生が「ここからは、ゆっくり時間かけてイエス様のこと説明すると良い」と言ってくださった。今からは、わたしが「塩の味のことば」を語っていきます。 男性: [Sun] 他の人のシェア聞いていても思うが、私は他の人ほど旧約の知識が全くない。ところが、ダヴァールではパスターが背景説明してくれるから、わかりやすい。心に入る。旧約聖書は難しいと思っても、(最終的には)聖霊様が理解を与えてくださる。また、今日読まれた「2コリント 12:9」の暗唱成句 “しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。” は、本当に心に入った。わたしの人生で、まさに体験したことが書かれている。 男性: [Sat] バラクとバラムの話の中で、いくら彼らがイスラエルを呪おうとしても、神様がそうさせないことがわかる。 同じように、私は完全に恵の下にある者。 [Sun] 今日の箇所で楽器(琴を奏でる話)が出てきたが、これは単なる音楽に関することではなく、聖霊の導きのことだとわかった。 男性: [Sat] 特に冒頭のところで、人に御言葉を教える時は、まとまったポイントをそのまま教えるのでなく、自分自身における今までの御言葉の積み重ねや、 神様との関係における体験を通じて話すことが、良い教えを生み出すということを学んだ。 [Sun] 2列王記3章の所で、「御