東京支部:聖日礼拝後のシェア


(大人のためのCS)(聖日礼拝)(混合)
2つのメッセージを通して学んだことは、神様が私たちに恵みを与えて下さるのは、私たちを愛してくださっているからだけでなく、恵みを受けた者が周囲にその恵みを分け与えていくという期待があってのこと。恵みを受けるだけで満足してしまうと、いずれ祝福を失ってしまう。行いを伴う信仰が自信へとつながり、それがシュネムの女のようなガッツある信仰、強い確信となることが霊的成長なのだとわかった。クリスチャンらしい品性、行いを以って、自分にできることをやっていきたい。
(婦人)

(収穫者会):ヨラムの「主がこの3人の王を召されたのは・・」という言葉が、神様を遊びで考えていることばだと分かることを学んだ。人生を真剣に生きていないで、自分のその時の満足を求めている偽りの姿、言葉遣いを改めて知って、自分もそうやって話している時がないかチェックした。
(大人のためのCS:シュネムの女が、ただ心で神様しかできないと信じて、シャローム、としか言わなかったこと。心に信じていることで行動することが、真理に生きる生き方だと分かった。
(聖日礼拝)愛し合うことの行動をすることを改めて学んだ。土曜日のメッセージを思い出しながら、子供に「心からする」ことを教える必要はない、と思わされた。子供は真理に生きている。真理に生きるとは、霊によって生きることだと分かった。
(婦人)

(聖日礼拝)今日のメッセージでたくさんのことが話され、たくさん神様から受け取ることできた。最初は、2列王記314
今週の暗唱聖句の意味が全然理解できなかったが、 パスターの説明がわかりやすくて、あとでわかった。特に、『恵は罪よりさらにでかいもの』、また『頭だけでの真理だと、意味がない』という二つの事については、 前も知っていたが、改めて行動することの重要性が今日わかった。
(男性)

(聖日礼拝)罪の影響により、子孫の4代まで神様がさばき与えるのに対し、恵は1000代及ぶという違い、かなり大きですね。
今日、地質学な説明で、石筍のことを使って、その恵の意味が説明されたのが、とてもわかりやすかったです。
(婦人)


(聖書研究)改めて、礼拝の日の自分と、他の日の自分、区別があること自体を神様は嫌う。悔い改めて行く。
(収穫者会)ヤロブアムの罪は、『クリスチャンでありながら、神様は(心の中)いない、と言ってる』。ひどいことですが、
自分もそうゆう部分があった。
(大人のためのCS2列王記4のシュネムの女の話から、行動の忠実さが重要であることが改めてわかった。特に、行動することによって、『自分はクリスチャンだ!』という硬い確信がくる。
(聖日礼拝)『真理』というものはただ霊の現実だけでなく、自分の忠実な人生(生き方)が要求されることが、改めてわかった。
(男性)

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