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”神様の国へついて来い!”〜教会学校名古屋

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 メンバー:ヨセフ、エステル(仮名) 聖書箇所:2列王記9:14-37 暗唱聖句:私の後ろについて来い。2列王9:18 3人で祈って始めました。2人は今日の話はイゼベルを倒す話と言っていました。 先週どういう話だった?ヨセフ「エリシャが預言者のともがらに言って、エフーにクーデターを起こすように言った」エステル「神様がエリシャに言ってエリシャがともがらに言ってともがらがエフーに言って油注ぎをした」それでどうだった?前回の13節から始めました。皆がエフーは王であるとその場にいた人達が認めた。神様が決めたこと。皆がヨラムではなくエフーが王であってほしいと思った?ヨセフ「賛成だった」エステル「ヨラムは嫌だった」 ヨラムはアラム人に傷を負わされてイズレエルの自分の王宮にいた、ラモテギルアデでエフーが王として油注がれたことを誰もヨラムに知らせるために行ってはいけないと言った。その通り誰も知らせなかった。エフーがヨラムのいるイズレエルに行った。 ユダの王とヨラムは仲良かった。ヨセフ「政略結婚?」仲良ししちゃったから良くなかったね。ヨセフ「偶像仲良し?」エステル「2つの国は滅びるのか?」 イズレエルのやぐらで敵か味方が来るのを見ていた。味方なら良い知らせか悪い知らせかを持ってくる。王が騎兵を送って、お元気ですかと聞いて、エフーはあなたの知ったことではない、私のうしろについて来い。と言った。ヨラムからエフーに向き直す、エフーの側にまわること教材にあること話しました。 ヨセフ「命だけは助けてあげるよっていうこと?」命だけではない意味があるよ。教材にあったように、サタンの国にいたけど神様の国へつくようになった。その仲間に入れられた。ことを後で説明しました。 また、同じように王は騎兵を送ったけど、またエフーについて行った。 ヨラムはエフーが来た時どう思った?エステル「仲間だと思った」ヨラムとアハズヤはエフーを迎えに行った。ちょうどナボテの所有地だった。神様の計画。エステル「ナボテかわいそう」ヨラムのお父さんアハブとイゼベルが殺した。エフーがイゼベルが悪いことをしている限りと答えたら、ヨラムとアハズヤは逃げようとした。エフーは神様からの役目果たした。ヨセフ「ヨラム倒し」エステル「イゼベルもしないとダメだよね」ヨラムが死んだ、エステル「イゼベルは泣いちゃったかもしれんよ」ヨセフ「怒ったかもしれ

神のみことばは、生きていて、力がある

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みことばは、ただの哲学的なアイデアではなく、生きていて力があるということを聞いて、考え方がすごく変わりました。 アブラハム・ダビデ・イエス様の話の中から神様のみことばが実を結んだように、そのみことばも今私の人生の中に生きていて実を結んでいくんだと分かりました。 ですから、自分もただ聞く者ではなくて、信仰を持って行う者になっていくんだと考えさせられました。 (大学生)

喜びいっぱい!トラクト配り

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先月から、週報、トラクト、みことばカードの3点をセットにして配っている。 トラクトを受け取った少年3人組が大声でみことばカードを読んでいた。 トラクトを受け取った人たちがじっと読んでいる姿がよく見られた。 後半、 急にすごい喜びがきて、賛美を口ずさみながら、ステップしながら配った。 聖霊様が助けてくれてるんだと思った。 喜びいっぱいのトラクト配りでとってもハレルヤだった!  (婦人A) 今日は受け取ってくださった男性が暑さ避けのミストの下のベンチに移動して、トラクトを読んで下さる姿を目にしました。 真剣に行動する事が大切だと 心から感じました。 トラクトを配る際のこちらの姿勢の大切さを感じました。 神様ありがとうございました。  (婦人B) 今日の礼拝のメッセージでの、行動すること、がとても印象に残った中でのトラクト配りでした。 男性が「何を配っているのですか?」と声をかけてくださり教会のトラクトであることを伝え、週報と一緒にお渡しすると、「ありがとう、読ませてもらいます」とおっしゃいました。 また若い女性2人組もトラクトをもらいたいと声をかけてくれました。 この方は先に真理さんから一部受け取っていましたが、私が会釈すると、お友達の分を欲しいと声をかけてくれました。 あちらから欲しい、と言われるのは初めてのことでした。 本当に嬉しかったです。 神様のみことばをお渡しする機会を頂けた事に感謝致します。  (婦人C)

”実践的クリスチャン生活”とは

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ダヴァール教会では夏の聖書セミナーが終わり、新しいメッセージシリーズ”実践的クリスチャン生活”が始まりました。 甲府支部から学びのシェアです。 神様は人間の信仰、願いを使ってのみしかこの地上で奇跡をおこされないと いうところが心に残った。 なぜなら、この世での支配権を神様が人間達に与えてくださったから。  いままでだれかの救いに関して、「いまは 時じゃなくても神様にゆだねます。」 と神様に預けていたが、 私が強い願いを持って、その相手が救われるという信仰のもとに神様にゆだねないと、 私の信仰を使って、神様はその人を救うことが出来ないんだ。と分かった。  そのことを改め、もっと強い願いを持って生きようと思った。  (婦人A) ここ何ヶ月、自分の生活はこれでいいのか信仰はこれでいいのかと考えていた。  神様は自分の願いを叶えて下さる。でも自分は神様に対してどうなのかと考えていた。  聖書をもっと学びたいという思いも出てきていた。  今日の礼拝で学んだ、信仰は行いとついてまわるもの。行いのない信仰は死んだ信仰で 神への愛がない。というところで、これは自分自身のことだと思った。  これからは神様に24時間仕えていきたい。  (婦人B)  みことばを受け入れないということは神様と喧嘩しているのと同じというところで、 神様のことを信じてるといっても、このみことばは難しいなー、大変だなと思う事は 神様に従っていないし、不信仰だなということに気がついた。  神様のみこころを知るということと、神様の言葉を受け入れるということを もっと大事にしていきたいと思った。  (婦人C) この日はあゆさんのお誕生日のお祝いをしました。 おめでとう!

広島大学から、深みに漕ぎ出せ!

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  神様は人それぞれに生きる目的を与えていることが分かりました。しかし、人間は創造された側で、いろんなことを知らず、迷ったりわからなかったりすることが人生で沢山あります。そこで、創造する方に導きを求めることが大事だと学びました。また、アブラハムのように、わからなくても、神様の御言葉を聞き従い、信仰のステップをとることが大事だと分かりました。今まで疑問に思ったこと、だんだん答えが見えてきました。人間である私は「living-the-unknown-ness」をするものであるが、神様は全てのことご存知で、私のために奇跡をなさる。神様は私のために水の中に道を作り、荒野で道を開いてくださるから、自分を神様のしたに置き、信仰のステップスで歩んでいきます。私がインドネシアから日本まで留学でき、ダヴァール教会に来たことも全て神様の奇跡です!感謝しましす! 礼拝後に福岡に住んでいる婦人とスカイプ使ってシェアしました。 彼女は神様を信じる前に生きる目的がない・満たされていないと思ったが、クリスチャンになって初めて自分にも目的あって・満たされているとわかってきて感謝だとシェアしました。それは、聖霊の働きだとわかってきました。「もちろん毎日色々なことがあるが、神様はずっと共にいるからいい訓練なると信じます。毎日レベルアップされるのは感謝ですね」と彼女から励ましを受けました。 (婦人)

甲府から、深み漕ぎ出せ!

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自分の願いをすらも神様がそれを使って、 神様のみこころに変えてくれるというのに励まされた。 自分を捨てとは自分の願いは捨てる。という意味だと思ったが、 それも肉にすぎないし、 神様に委ね、諦めるということはやめよう、願いを強く持ち続けていこうと思った。 子供のケアをする仕事で、なにが正解かわからなく逃げたくなる気持ちもあったが、 金曜日、それでも子供と向き合おう、体当たりしてぶつかってこう、逃げないでいようと思った。 子供の心が前よりみえた。 深みに漕ぎ出すとはこういうことかと思った。 逃げずにむきあう。訴え続ける。あきらめない。その気持ちで神様のみこころをやっていきたいと思った。 (婦人) 神様の道は誰にでも見えないものだ。 と礼拝で学んだが いままで見えなくなると不安になったり道をはずしてしまうことがあった。 でも神様がそうやって訓練されると知ったので、 これからなにがあっても、このまま進んでいけばいいんだと気持ちの切り替えが できるだろうと思った。 いままでは一歩一歩確実に続けていくというのが苦手だったが、 あせらず、確実に歩んでいきたいと思った。 (婦人) 今日の礼拝で答えを沢山もらえた。 願いを持っても先がみえないと不安になることもある。 しかし道のりは私達は知る必要なくて、大切なのは諦めないことだということを知った、 最近、仕事が忙しくその事で頭がいっぱいになっていたが、 神様はそんなわたしのこともこうやって礼拝で元気つけてくれたことが 本当にうれしかった。神様が絶対後ろについててくれる。 忠実さと人に仕えることを行っていきたいと思った。   (婦人)

2020年夏の聖書キャンプ”深みに漕ぎ出せ!” テント張り

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ダヴァール教会2020年夏の聖書キャンプ”深みに漕ぎ出せ!”がいよいよ始まりました。  今年はコロナウィルスの流行で、教会があるパサデナ市では教会の建物内での礼拝・賛美は全て禁止されました。 そのような中で、プールサイドにテントを張り巡らし開催されたキャンプ。この天幕に兄弟姉妹が心一つにして集まり神様を礼拝し、清められて、この世に光を放つ存在とされていきます。  そのテント張りの様子はこちらをご覧ください。  テント張り

自分・考え方を捨てて、神様の良い器に

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福岡支部、広島大学支部の日曜の礼拝後のシェアから・・・ 神様が人間を器として使い、働くことについて学びました。ペテロやパウロを例で、神様に使われるものになるためには、まず自分(考え・アイデアなど)を捨てることが大事ということが分かりました。ペテロは沢山経験のある漁師だったが、イエス様の言いたことに従い、深いところにもう一度網をおろしました。すると、沢山の魚が取れました。ペテロがもし自分の考えを捨てずに、イエス様の言葉に聞き従わなかったら、この奇跡は起こりません。人間も同様で、いくら知恵を持っていても、人間というのは神様に創造されたもので、神様の言葉を聞き従うことがどんなに大切かを学びました。  礼拝後に、福岡ブランチの円さんとシェアしました。 円さんは:「自分を捨てる」というみことばを聞くとき、自分には捨てられるほどのものを持っていないと自分に当てはめて考えたが、実はもっと考えると、他の人の考えを気にしたり、自分のことしか考えなかったりすることなどがまだ残っています。でも、それでも神様はダヴァール教会通して私の成長のために訓練させているというのは本当に大きな愛だとシェアしました。   円さんのシェアしたこと聞き、パウロがクリスチャンを迫害した話しを思い出しました。パウロはその時、神様のためにクリスチャンを迫害したから、それは正しいことだと考えてしまいました。しかし、イエス様と出会った時に、パウロはその古い自分・考え方を捨てて、神様の良い器になりました。自分を捨てることが本当に大事だといつも考えさせられます。 神様の大きな愛を感謝します!

名古屋支部CSの学びから ”行って、彼に言いなさい。「あなたは必ず生きる」と言いなさい。”

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名古屋支部から教会学校のシェア 2020/7/26(日)  メンバー:ヨセフ、エステル(仮名)  聖書箇所:2列王8:7-29  暗唱聖句:行って、彼に言いなさい。「あなたは必ず生きる」と言いなさい。(2列王8:10)  3人で祈って始めました。 今日の聖書箇所を、交互に読んでいきました。 ベンハダデはどこの人? ヨセフ「アラム」、エステル「良い人?悪い?‥エリシャを捕まえようとした」どうして捕まえようとしたのかエステルが思い出し話しました。  アラムの将軍ナアマンの時、ベンハダデがイスラエルの王に手紙を書いたことも思い出していきました。 エステル「(手紙を書かないと)戦いみたいになっちゃうよね」 エステル「手紙を書いた人が病気になっちゃった話?」そうだね。 ナアマンはヤーベの神様に癒されて、信じたけど、今後王様のベンハダデに付いてリモンの神殿に行って膝をかがめないといけないけど、それでも神様は許してもらえますかとエリシャに聞いていたね。エステル「土をもらった」 ナアマンがベンハダデにヤーベの神様を証ししていた。 ベンハダデはエリシャのことを知ってるよね?2人とも「知ってる」と言いました。  エリシャがダマスコに行った時と読んで、地図を皆で見ました。 ハザエルがエリシャに贈り物を持って行った。  教材に書いてあるように、ベンハダデの病気が治るということではなく、生きるかどうかという意味だと話しました。  生きるのかどうかをエリシャに聞くようにとベンハダデがハザエルに頼んだ。  エリシャは、生きる。でも死ぬよ。と言われた。どういうことだろうね?  エステル「次に(エリシャが)言われることを、何かをしたら、(生きるか死ぬか)どちらかになるということ?」ああそういうことね。その通りすれば、生きるよ、という意味?ここではね、何が言いたいのかな? もうそれをしたから、生きるよと言われたよ。エステル「信じたら生きるよ。信じなかったら死ぬよということ?」と言って、先に書いてあることを読む前に想像して話が止まらなくなっていました。  続きを読んでいこうと言って読みました。  メッセージでもあったように、2列王1章の話との対比。  この時イスラエルの王は、病気の時にヤーベの神様ではなくて、エクロンの神にすがった。2人はこの話を覚えていました。  エステル「アハブが拝んでいたバールの神

“「あなたは必ず生きる」と言いなさい(Ⅱ列王記8:10)” 子供たちの学び

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福岡支部から、日曜学校のレポートをシェアします。 日付:2020年7月26日(日) 聖書箇所:Ⅱ列王記8:7-29 暗唱聖句:言って、彼に言いなさい。「あなたは必ず生きる」と言いなさい(Ⅱ列王記8:10私訳)。 参加メンバー: ラケル 、ヨセフ、レビ、エフライム(仮名) まず祈って始めました。 先週はどんな内容だったかを ラケル に話してもらいました。4章に出てきた裕福な女とこどもが再び登場して、ききんが来るから他の場所へ行きなさいとエリシャに言われ従った。ゲハジが王様にその女のことを話していた時に女が現れて、土地も家も全部返してもらった。ということを話していました。 今日の箇所を読みました。 読み終えて、最後のところで分からなくなった。と子供たちはいうので、イスラエルの王ヨラム王の時、一方南ユダの王様はヨシャパテ、その次にヨシャパテの子が王になるがその王の名前が同じヨラム、そのときに反逆が起きた。そして、次にアハズヤとなった。と話すと、そういうことか、わかった、と言っていました。 今日はどんな話だったかを簡単に話してもらいました。エリシャがハザエルに言ったことばであなたは必ず「直る」と書いているが「生きる」と言っていることを伝えました。このエリシャが言ったことばは結局どっちなの?と言うことだけど、みんなはどう思う? ラケル はいずれ人は死ぬからこういう言い方をしている、 レビ は病気はなおったけど、殺されて死んだと言う意味、と言っていました。創世記2:16・17を読みました。3章に行くと結局神様との約束を破り善悪の知識の木を食べてしまったが、アダムとエバは死んだ?と聞くと、死んでいないと言い、霊的に死んだと言うこと?と ヨセフ が答えました。あーなるほど、そういうことかと子供たちは言っていました。 それで、霊的に死んだのは何をしたから?と聞くと、神様のことばに背いた。と ラケル が言いました。神様の言ったことに従わなかったことで罪を犯した。エデンを追い出された。今までいつも神様とともにいてすべて必要なもの、食べるものは与えられていたけど、追い出され神様から離れてしまい、自分でいっしょうけんめい働いてたべものを得るようになってしまった。今の世の中はどっち?というと働いていると言っていました。神様のことを無視してみんな自分ために一生懸命は働いて教会に来て礼拝す