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神様からの癒し〜甲府礼拝所〜

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  アレルギーチェックでグレーゾーンだった牛肉。 木曜の夜にすき焼きを食べた後から体調が悪くなり、 次の日はだるさと頭痛と喉の炎症で一日寝込んでました。 次の日の朝、みことばドリルをやるため、聖書を読み始めました。 頭痛でもうろうとしていたのでみことばがなかなか頭に入りません。 しかし20分くらい経ったあと、頭痛がすっと消え、 喉のあたりを触ると熱感がひいていました。 そして聖書のみことばがスラスラ入ってきました。 これはこのみことばの成就だよ。とパスターが教えてくれました。 わが子よ。私のことばをよく聞け。 私の言うことに耳を傾けよ。 それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。 見だす者には、それはいのちとなり、 その全身を健やかにする。 箴言4:20−22 みことばの力に感謝の日でした。 神の言葉は生きていて、力があります。 ( 甲府礼拝所  M.S)

収穫者会礼拝メッセージからの支部間シェア

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  ヨハネ6章のメッセージよりグループシェアの内容です。 Mさん(女性) 「霊的現実」の事を今日改めて学び、それ以外の現実は、意味がないとわかります。「神の印が押されてる」と言うのは、私の名前は命の本に書かれています。その事実は絶対変わらないことです。ところが、いくらそれが現実であっても、私は本当にそれを受け入れてるか?自分の行動を見ると、足りない所がある、とわかります。 Yさん (男性) 昔は、私がたくさん暗唱成句の暗記をしました(一節くらいだけじゃなく、新約の長い箇所も暗記した)。他のあるクリスチャン達も、ある意味趣味として、「みことばの暗記」もしてます。ところが、いくら、「あの言葉、この言葉がこの、あの書物に書いてある」と知ってても、なぜ喜びが少ない?その言葉が働いていないことも発見した。みことばが凄い力、喜びをもたらすべきけものけど、私に足りないのは、瞑想することだ、と今日わかったのです。 Eさん (女性) 「瞑想する事」に関しては、最近職場で、昼休みの時にみことばを読んでますが、「みことばを食べてる」よりも「単に勉強」の時もあります。Davar でいつも学んでるように、みことばを個人レベルまで適用しないと、意味がない、とわかりました。 Hさん (女性) ヨハネ10:10は、今日の自分にとって一つの大きなみことばでした。私は、普段の礼拝最中、信仰持ってる、信仰が高まってきてるであっても、通常生活の毎日で、それの状態とのギャップも発見する。その私の周りの時環境だけ見ると、死だけがきます。周りの人は、サタンの影響によって、死の言葉によって死んでることがわかってます。だけど、その逆で、一つのみことばが心に入ったら、死から命に移されていきます。 Dさん (男性) 今日、「イエス様の肉を食べる」、その意味がさらに深くなりました。いくら前これを学んだ事であっても、みことば=一番大事な毎日の食物、と言うことを改めて今日わかった。無意識で普通の肉のご飯をいつも食べてるけど、たった1日だけでも霊的なご飯を食べない場合だったら、どんな悪い、ソンになること、先週の1日でそれを実際体験しました。そうならないように、いつも霊的な食べ物を今までよりもっと大切にしていきます。

6月4日(金):収穫者会後のシェア

6月4日の収穫者のシェア報告です。 箇所:出エジプト19章、使徒2章、ヨハネ4章 参加者:Hさん(婦人)、Mさん(婦人)、Sさん(婦人)、Tさん(男性)、Dさん(婦人)、Dさん(男性) 時間:夜10:10-10:35 シェアした内容 Mさん 聖霊様の霊的な働きをもっと理解できた。霊の世界は現実です、ただ地上でまだ見えてない。メッセージ、また自分で聖書を読む時にそれをもっと見る事ができる。それだけじゃなく、聖霊様が神の御心を教えてくださり、自分が毎日の生活の中で、どうやって正しく生きるかをも教えてくださいます。少しずつもっとそれをやっていきます。 Hさん 「真の礼拝者」がどうゆう意味、メッセージをとしてわかり、今週もそのことを考えていました。一番大きなことは、神様の心を知ることです、とわかった。職場で、いくら事務的な仕事があるとしても、人と接する時にもっと心を入れてことできる、改善していきます。また、今週もローマ8:9を改めて読んで、自分の霊が、聖霊様に囲まれていること、この霊の現実は、改めて凄い、と発見できました。 Tさん 今日、聖霊様が全ての真理に導き入れてくれる事と、この世の支配者がもうすでに裁かれている事、改めて学びました。ところが、私は職場にいる時に、この真理の上にたってない時があるとわかります。時には、イエス様が患者さんを癒すと言うよりも、「自分も彼らを癒さないといけない」の考えが無意識で入ってしまうこともある。自分の分野の事勉強することは良いことですが、これからもっと真理の上に立ち、病気を持ってくるサタンが完全に裁かれた事の真理の上に立って、もっと告白すべきです。 Dさん ヨハネ4章のドリルをやりながら、イエス様とニコデモとの出会いと、イエス様とサマリアの女性との出会いの違いを気づいたことがありました。それは、ニコデモが、自分自身がたくさん神様のためにやってると思ったから、イエス様の所には来なかった。ところがが、サマリアの女は、自分は悪いだとわかって、イエス様を求める心があった。私自身は、謙遜なってイエス様にもっと求めていきます。流れる水は求める人だけに与えられる。 Sさん 聖霊様が、ヨハネ16章を通して、未信者にあやまりを教えてくださる、それが奇跡だとわかりました。また、毎日聖霊様が通常生活の中に、自分を導いてくれるのですが、それを見えてない時もある。...

キリストのこころ “ヌース” による歩み

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人間の心の良心にあたる”ヌース(ギリシャ語)”が汚れてるから、正しい生き方ができない。今日の収穫者会で学んだエペソ人への手紙(聖書)から、そのことを学んだ。いくら表側を綺麗にしようとしても、心の奥底にある良心が清められないと、生き方が変わらない。聖書(神様)も、「よくよく注意するように」と言ってるということは、私が本当にそのことを真剣に捉えて、教会以外の普段の生活の中においても、自分の心を見つめ直さないと、生き方は変わらないということ。イエス様を救い主として心に受け入れた人は「キリストのヌースがある(1コリント2:16)」。けれど、これも霊の世界の現実だから、実際の生き方が変わらないと意味がない。神様への従順な心が必要。礼拝の途中で思い出したのは、これまで牧師夫人のM先生が、私の人生に深く関わってきてくださったこと。心の奥底まで汚れて、神様に反逆していた私を、絶対に諦めないで、たくさんの時間を使って、祈り、ことばを与えて、何十年も導いてきてくれたこと。それと同じ “キリストのヌース” を、私も持ちたい。そして神様に愛されている、周りの人たちに仕えていきたい。今日のメッセージを通して、そういう志が与えられた。 ( 東京礼拝所 ・婦人)

「いのちの木と善悪の知識の木」(収穫者会からの学び)

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収穫者会「実践的クリスチャン生活 No.12」 いのちの木と善悪の知識の木が一本とも考えられるということに驚いた。 問題は、その取り方にあるということ。 自分で良いと思うものを決め、自分の手でそれをとっていくという生き方がどれだけ愚かかということを知った。 それは神様を信頼してないということ。 肉の無力さを忘れないこと。そこにはなんの価値もない。 神様だけを見つめて生きていきたい。 (甲府礼拝所・婦人)

甲府支部 収穫者会の学びから

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テモテの生き方がパウロの生き方を人々に思い起こさせてくれたように、私にとって、牧師一家の生き方があったことのないイエス様、弟子達の生き方を知る助けとなっている。 聖書を読みながら、ああこういうことをいってるんだと理解できる。 同じように、生き方で神様を現していきたいと思った。  (婦人)  パウロとテモテはいつも一緒に行動し伝道していた。 教会内でも同じで、執事と婦人執事がともに働いた。 私たちの教会でもみんなで同じ方向をみて、行っていきたいと思った。 そして基本である家庭でもバラバラにならず、お互いに話をし理解をしながら、 家庭を構築して行きたいと思った。 (婦人)

“イエス様に少しでも近づけるように”収穫者会からの学び

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収穫者会では みことばドリル を事前に解いてあることを前提としたメッセージを聞くことができ、実生活への適用をしていきます。 今週はマタイ16章13節〜28節でした。 サタンはイエス様にみんなが求めているメシアになるように誘惑した。  というところで、  私がイエス様の立場だったら、そう生きれたら楽だろうと思った。  反対も受けず、みんながあがめてくれる。  この世でみんながもとめてるもの。 しかし、イエス様は誘惑からぶれることなく、神様のみこころを行い通した。  また理解できてない、自分のことばかり考えている弟子達を受け入れ、 愛し合う事の大切さを伝え、模範となって行い続けた。  イエス様のその心が本当にすごいと思った。  少しでも近づけるようになりたい。(婦人)

個人的疑問に関する神様からの答えとは・・・

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偶像礼拝のことで自分の中の世のものに依存する心を考えていることがあった。酒とかタバコを欲しがることがそれだろうけど、もっと細かい、例えば「コーヒーが好き」などの”自分の好み”も結局それと変わりなくて、「じゃあどこまでそれを”やめる”ことをすれば良いのか?」と、事ある毎に「これは偶像礼拝?」と言う思いで、頭の中でごちゃごちゃ考えが出てくることがよくあった。 先週から今日までのメッセージで、すでに神様から取り分けられていて清められることができる様にされていることをリマインドされた。 その前に考えていたことは、どこか律法的、不信仰、パリサイ人たちの失敗と同じ様なことをやっていたのでは?と気付かされた。まだすっきり理解できた訳ではないが、もっと普段の生活の中で「今やってることは神様のためか?」(この意識をいつの間にか忘れていた)と自分を聖別して捧げようとすることと、理解できていないことを頭でごちゃごちゃ考えることに時間を費やすより、今できるやるべきことに先に目を向けることだと示された。捧げる時に、神様から「聖い」とされていく、という事もメッセージから改めて受け取った。 ”受けた恵みをお返しする”事と、”互いに足を洗いあう”事の繋がりももっとしっかり理解したい。(男性)

神様に選ばれたもの

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神様に選ばれたものとして生きることについて学びました。神様は霊であるから、霊によって生きるべきだということを改めて考えさせられました。生活の中で、疲れると思ってしまったことがありました。しかし、今日のメッセージでは、環境をみるのではなく、霊の目で神様の存在を見るんだということも考えさせられました。イスラエル人がカナンに入る時も戦わなければなりませんでした。神様は勝利を与えると言いたにもかかわらず、戦いに出なければなりませんでした。今日聞いたみ言葉に励ませれて、神様がすでに私に勝利を与えたともっと意識し、毎日のするべきことをしていきます。  今日も、福岡ブランチの姉妹とメッセージのシェアしました。彼女は第二列王紀の6章の話しで霊の耳と目についてシェアしました。エリシャの召使いが沢山のアラム軍隊の馬と戦車を見た時に恐れていましたが、その人の霊的な目が開かれたら、イスラエル側にある火の馬と戦車の方がはるかに多かったことが見えるようになりました。霊的な目と耳を開くのは神様であるから、神様に聞くと開いてくださる。霊的な目と耳が開かれた私たちも今度は、他の人の目と耳を開く役割になるんですよと励ましを受けました。 神様のみ言葉で励まされたこと、新しい力を受けたことを感謝します!ハレルヤです!

東京支部:聖日礼拝後のシェア

(大人のための CS )(聖日礼拝)(混合) 2 つのメッセージを通して学んだことは、神様が私たちに恵みを与えて下さるのは、私たちを愛してくださっているからだけでなく、恵みを受けた者が周囲にその恵みを分け与えていくという期待があってのこと。恵みを受けるだけで満足してしまうと、いずれ祝福を失ってしまう。行いを伴う信仰が自信へとつながり、それがシュネムの女のようなガッツある信仰、強い確信となることが霊的成長なのだとわかった。クリスチャンらしい品性、行いを以って、自分にできることをやっていきたい。 (婦人) (収穫者会) : ヨラムの「主がこの3人の王を召されたのは・・」という言葉が、神様を遊びで考えていることばだと分かることを学んだ。人生を真剣に生きていないで、自分のその時の満足を求めている偽りの姿、言葉遣いを改めて知って、自分もそうやって話している時がないかチェックした。 (大人のための CS ) : シュネムの女が、ただ心で神様しかできないと信じて、シャローム、としか言わなかったこと。心に信じていることで行動することが、真理に生きる生き方だと分かった。 (聖日礼拝) 愛し合うことの行動をすることを改めて学んだ。土曜日のメッセージを思い出しながら、子供に「心からする」ことを教える必要はない、と思わされた。子供は真理に生きている。真理に生きるとは、霊によって生きることだと分かった。 (婦人) (聖日礼拝) 今日のメッセージでたくさんのことが話され、たくさん神様から受け取ることできた。最初は、 2 列王記 3 章 14 節 今週の暗唱聖句の意味が全然理解できなかったが、   パスターの説明がわかりやすくて、あとでわかった。特に、『恵は罪よりさらにでかいもの』、また『頭だけでの真理だと、意味がない』という二つの事については、   前も知っていたが、改めて行動することの重要性が今日わかった。 (男性) (聖日礼拝) 罪の影響により、子孫の4代まで神様がさばき与えるのに対し、恵は1000代及ぶという違い、かなり大きですね。 今日、地質学な説明で、石筍のことを使って、その恵の意味が説明されたのが、とてもわかりやすかったです。 (婦人) (聖書研究) 改めて、礼拝の日の自分と、他の日の自分...

東京支部:聖日礼拝後のシェア No.1

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(大人のためのCS)第二列王記4章より、オバデヤの義により、他の人々が救われたことを学んだ。私が他の人に油を広めることで、他の人が「油の器」となることができるとわかった。 (聖日礼拝)第二列王記の3章より、私はヨラムだということがわかった。旧約聖書には沢山の不信仰による酷い行いが書かれていて、自分とは関係ないように思っていた。けれど、今回は自分をヨラムとして見ることで、新しい聖書の読み方をした。 (婦人) (収穫者会)第二列王記の3章からのメッセージだった。ソドムとゴモラの例について書かれている。ロトは真剣に自分の生き方を変えなかったので、神様の恵から漏れ、後の歴史に問題を起こした。 (大人のためのCS)収穫者会のメッセージと繋がり、謙虚に受け止めた。まさみ先生(牧師婦人)からも沢山助けてもらった。自分のことを考える心をなくすべき。 (婦人) (収穫者会)これまでまだ、この世の知恵を求める傾向があった。聖書には、私たちは「キリストの心」が与えられていると書いてある。このことばの意味がもっと良くわかりました。 (大人のためのCS)私たちには聖霊が与えられている。従順な器として、聖霊の導きに従うべき。 (聖日礼拝)ローマ5章より、なぜ律法が与えられたのかが、とてもクリアになった。 (婦人) (収穫者会)1コリントから当てはまることがあって、それは自分がクリスチャンとして、信じていることに対して、世から笑われる者だということを忘れていた。ちょうど今週あった出来事で、公園に10才くらいの子供たちがいて、彼らにイエス様と天国のことを少し話したら、その子供たちからは、笑って「あり得ない。ただの宗教だ」と言われたばかりだった。 (大人のためのCS)神のことばが与えられる(聖書または神の器を通して)時、ほとんどの場合が私の考えとは違うことで、何度もショックを受けたことがある。けれど、それは(私にとって)良いテスト。 (聖日礼拝)正直、「原罪」について何が間違った教えなのかクリアではなかった。けれど、今日のメッセージから、とても良く理解することができて、自分の信じることも変わった。 (男性)

香港支部:収穫者会

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今回気づいたのですが、ドリルに記載していただいたように、ヤロブアムの罪という言葉が罪の代表格のように、何か所にも書かれていること。そして、私が取り違えていたのですが、それが単に他の神々への偶像崇拝ではなく、ヤーベの神へということになっていた点です。それを自分への民意をつかんでおくためにやったというのは、自分のために本当の神様を利用したということで、単純な偶像崇拝よりも、もっと質の悪い罪でこれだけ何度も書かれて当然の罪だと思いました。 朝焼けに赤く染まった水が、イスラエルの救いのためのいけにえの血であったこと、また、メシャの息子の血も、神様にとってなだめのかおりとなったこと。誰に対しても神様の愛が大きく有るということも学びました。 (婦人)

東京支部:聖日礼拝からのシェア No.2

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東京礼拝所では、外出自粛を受けて、大半のメンバーが在宅でオンライン配信にて礼拝を行い、毎週聖日礼拝後のランチタイムに、二つのグループに分かれて御言葉の分かち合いをしています。こちらは二つ目のグループのシェアになります。 ——————————- [Fri] 収穫者会(金曜)からのシェア [Sat] 祈祷会(土曜)からのシェア [Sun] 聖日礼拝(日曜)からのシェア ——————————- 婦人: [Fri] 弟子、クリスチャンの高ぶりについて学んだ。神のことばを聞くには聖霊様の導きがないと聞けない。 神の御心を知り、行うことも出来ない。聖さと謙遜さが必要。いつも頭に入れておく。 [Sun] ヨラムvs.キリストの比較において、偽りと真理の違い、恵みについて学んだ。恵が必ず勝利する。 ネガティブな考えは、消えて無くなる、考えすらしなくなる。(=偽りは勝利できない) 婦人: [Sat] 真理の霊vs.偽りの霊について学んだ。琴をひいた時に御言葉が語られた。御言葉を語る時に霊が流れる。 今、この時に、神様のことばを語ることが大切。トラクトは4月から一時休止しているが、別の方法でみことばを語っていきたい。 子供(男児): [Sun] ヨラムとヨシャパテとエドムの王が、モアブと戦った話を聞いた。戦いに行った朝、水が血になってたが、それは敵を勘違いさせるためのものだった。 あと、ハープを弾いた時に、神様のことばが聞こえた。(全体の感想)神様はすごい。 婦人: [Sun]「エリシャは言った。私が仕えている万軍の主は生きておられる(II列3:14)」の「万軍」という言葉が印象的。つまり、軍隊を持っていく国(神の国)ということ。 また、「ヨシャパテのために」エリシャが神のことばを語ったのと同じく、私たちもキリスト(十字架)にあって恵みを受けている。恵み。感謝。 イエス様が死んでくださったことをいつも謙遜になって心にとめたい。 婦人: [Sat] II列王3章より、モアブ人の呪いについて、実は2章のエリコの話からずっと「呪い」がテーマになっている、ということを聞いた。 呪いは塩によって清められた。塩=ことばを語ること。(=ヘブル語でDavar)自分の言った通りになると信じる。 [Sun] 今度は同じ箇所から...