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2026年1月25日 聖日礼拝後の様子 名古屋礼拝所

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  礼拝のメッセージで語られた聖書のことばについて分かち合いました。 (Aさん) 神様に栄光を帰するということを勘違いしていた。神様はご自分が人のために回復してくださった栄光を、イエス様の勝利とともに人に分かち合ってほしい。 (Bさん) 神様が一緒に喜びたいことを聞いて、今まで考えもしなかったことに気がついた。自分が誰かをヘルプしてその人が喜んでくれたら嬉しい。神様も同じだということを考えたことがなかった。知らずにそのまま生きていたら悲しい。神様が一緒に喜びたいということを考えていきたい。過去に膝が痛くなったことがあった。いつの間にか治っていた。礼拝の最後に健康のことを祈ったりする。そういうのがあっていつの間にか治っていたことが感謝だった。 (Cさん) イエス様には命令する権威がある。それはイエス様ご自身が贖いのために死んでいかれたから。というのを聞いて本当にそうだと思った。救われたらイエス様のもとに来て感謝する。それをすることで神様が高くしてくれる。自分が喜んで日曜日に教会に来てイエス様を褒め称えていることとか、教会に人を誘うとか、その生き方が証となり神様の栄光となると受け取った。 ( Dさん) イエスキリストの贖い 。イエスキリストは何回も鞭打たれてそのおかげで 私たちは病気が癒されたり健康になったり本当にイエス様のおかげでどれだけ救われたかがわかった。イエス様が生贄になられたおかげで私たちは救われたことを感謝してほめたたえていきたい。

2025年11月9日 聖日礼拝後の様子 名古屋礼拝所

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〈礼拝のリフレクション〉 (Aさん) 律法学者やパリサイ人たちは、神のことばによってではなく、この世の人の価値観によって行動していた。 例えばイエス様の弟子が食前に手を洗わないことについてイエス様を批判したこと。 この世においては食前の手洗いは敬虔なことに見えるが、神の価値観は違っている。 神様にとって価値のある、本当の神の愛で周りの人たちに接すべきであって、世の常識や基準によって接するべきではないことを教えられました。 今日もイエス様の聖餐式において、イエス様がどれだけ私たちのことを思ってくださったかということを思い、 全く罪のない方が私たちのために死んでよみがえってくださったことを受け入れた私たちは恵まれていると教えられた。

2025年3月23日(日) 支部シェア(山梨支部 x 横浜支部)

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ダヴァール教会では、毎週、支部同士でのシェアをオンラインで行っています。 以下、山梨と横浜支部メンバーで行われたシェアの報告です。 ・3/23(日) 15:00〜15:30 ・聖日礼拝(光の子どもNo.25)からのシェア エステル ・罪を犯した人間が、いかに盲目になってしまったか、改めて考えさせられた。目が見えていない時(自分では「目が見えている」と思っている時)は、自分では気づかない。イエス様の十字架を通して、目が見えるようになって初めて、いかに暗闇の中で生きていたのかがわかる。また、光の中に移されてからも、「もっと目が見えるようになりたい(聖い神様に近づきたい)」という願いを持って、示されたことを行動していくことが大切だとわかった。今週、No.9のドリルをやっている中で、神の人の名前が「イド」で、他の聖書の箇所にも出てくること、実際にその時代に活躍していた預言者だったことを知り、その前提で1列13章の話を聞くと、人間として来られたイエス様のことがもっとよくわかり、感謝だった。 マリア ・礼拝の意味、祭壇の意味を、改めて知った。イエス様が捧げられた祭壇が、天と地を繋ぐ軸であり、神様との和解や義に繋がっていることがわかった。また、正しい礼拝を行うことができるようになった結果、憐れみ、愛する心を受けられるようになった。また、イエス様の骨と1つになった箇所からは、イエス様が自分の中に住んでいてくださることがわかり、感謝。神様から与えられる憐れみの心と、利己的な考えによる同情の違いが、区別が難しいと感じることがあるが、今日のメッセージから、祭壇は人間の心だと知れた。良い行いも神様が示してくださることがわかった。