名古屋支部:聖日礼拝からのシェア

支配すると行うのことばが心を強くしました。。私はヨシャパテのように支配するもとされた。主を恐れ、主のことばを信じ、これを謙遜に受け、従う。第二列王記3:9からみことばのききんにならないように本物、(主のことば)真理に従う。いつも祈っていないとダメだと考えた。ヨラムのよに、にせもの、本当のように見せている生き方は、神様から恵とまことはない。みことばが一番大切であるとますます強く分かった。「互いに愛し合う」これが自然にできる者となる。今日もみことばにより聖められ感謝しました。
(婦人)

週の間、偽善について考えていた。自分の行動を振り返ってあれもこれもと思い当たることがあった。今日のメッセージから、何か行動した時も、しなかった時も心がざわついているときは、真理がなくてみことばの飢饉が起きている状態だとわかった。イエス様がゆえに救われているのに、それを自分が、、と勘違いしているときはイエス様がいない。「クリスチャン」であるということだけに甘んじていたと思う。真理をたくさん聞いているから言い訳はできない。心と行動がまっすぐでありたいと思った。
(婦人)

自分の中の偽りが何かわからなくなる時があるけど、聖霊様は教えてくれていたし、知っているのにやらないところに更に言い訳をしてやっていないことはアダムが罪を犯す時、知っていてやったことと同じと気付かされた。コリントの教会について、弱いとか愚かなことが問題ではなく、自分は知者だと思うことが問題で偽善だと聞いて、与えられている戒め「互いに愛し合いなさい」ができないのは偽り者、自分は正しいものだと思ってる偽善が原因なのか?と思わされた。今日のメッセージで思うところはいっぱいあって、大切なことを教えられている。神様の恵みとことばが必要です。もっと神様を求めていきたい。
(婦人)

水がなくなったという状態がみことばの飢饉であるということと、みことばに従って行いがないと恵みから外されるということが自分に当てはまるので印象に残った。
(男性)


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