東京支部:聖日礼拝後のシェア No.2

(聖日礼拝)神のことばは真理であり愛である。偽りがないということが、すなわち愛し合うということ。困ってる人を助けるなど、広い意味での愛。愛がないと真理に立っていないということもわかった。
(男性)

(聖日礼拝)知恵がない、愚か、ということは問題ではなく、偽りが問題。謙虚であれば良い。
(大人のためのCS)土曜も冒頭で同じことを言っていた。弱さを認めた人がクリスチャン。ただ、謙虚とバカは違う。何もできないこととは違う。自分の弱さを認めた後に、神様の知恵によって、聡く生きるという次のステップがあるのだと思った。
(男性)

(聖日礼拝) 伝道する上で、この世の人には良心があるが、神様に対して罪を犯しているという意識がないので、悔い改めに繋がらないということがわかった。イスラエルの罪は70年かかって悔い改めた。一般の人に伝道していく上で、まずは自分自身がわかっていないといけない。原罪については、罪を犯すものとして生まれついているというのが、間違った考えだということを学んだ。イエス様もアダムの子孫。個々人として、自分の行いによって、神様に対して罪を犯す。また遜ることも重要。アモス書の「主の御言葉の飢饉」が心にきた。御言葉を心に置くことが大切。恵みと真はコインの裏表。恵みをとると、真が来る。最後に、自分はヨシャパテになる必要があることを学んだ。
(婦人)

(エゼキエル書の学び)エゼキエル8章の学びから、シャファンの家系(神様に熱心に仕えてきたはずの家系)が、家の中で偶像礼拝をしていた、偽善者だった。原因は、内側におられる神様との交わりがない、ということ。心の割礼を受ける必要がある(ヌースの覆いを取り除く)というのが印象に残った。
(収穫者会)1コリントから、その時コリントの教会に起きていた問題が高ぶり。そして偽善だということを学んだ。聖書の御言葉は、神様が啓示して下さらなければ理解することができない、聖霊の助けが必要。
(大人のためのCS)「預言者のともがら」が、実はオバデヤのことで、彼はもともとアハブ王に仕える者だったが、(全てを捨てて)預言者になったということを聞いた。ちょうど、世の中の仕事をする虚しさを感じていたので、私も神様の仕事をする者に変えられていくことを目指したいと思った。
(聖日礼拝)今週は総じて「偽善」について教えられた。II列王記の話より、自分もヨラム(=偽善者)からヨシャパテに変えられていきたいと思った。ヨシャパテとは、困っている他の人のために神様のところに連れて行ってあげる人のこと。自分のためではない。
(婦人)



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