聖日礼拝「恵とまことシリーズ No.19」より、兄弟姉妹のシェア
聖日礼拝「恵とまこと No.19」のメッセージから、それぞれ学んだことをお互いにシェアしました。
「兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。」テモテへの手紙 第二 2章4節
戦場とは、やるかやられるかの命がけの世界。
そのような時に他のことを考えていたら、やられてしまうひとつのこと(ここではサタンとの戦い)に集中するためには、清さが必要だ。
でもこの一瞬だけ清ければよいわけではなく、生き方が求められる。
昨今のコロナの問題にも負けないためにも、清さを保っていきたい。
(男性)
聖別について、普通のものが汚れていることを学んだ時に、
イエス様の再臨も、普通の生活を送っている中で起きることを思い起こした。
普通の生活も清められる必要がある。日頃の心配もなくす。
キリストの兵士として神様をまず第一にすることの大切さも学んだ。
自分の家族が大切で聖別できないことが多い。
去年の夏のキャンプで自分を神様に捧げる祈りの招きがあった時に、
家族のことが大事で自分を神様に捧げることができていなかったので、前に出なかった。そしたらパスターが「家族のことで前に出れない人がいたら、、〜その人も前に出なさい」と言ってくださって、深い愛情を感じた。家族のことを考えるのは、結局は自分のことを考えているということ。それも捧げていかなければいけない。神様を1番にすれば全て満たされる。
(婦人)
今週ちょうど清めについて考えていて、イエス様の「足を洗い合いなさい」という、今日の暗唱聖句と同じみことばが心にあった。今週新たに、何か良い行いをしようとする時に「(私は)クリスチャンだから、ここまではやっといた方がいいかな」という超自然に頭の計算で行動を起こしていることに気づいた。これはごく自然すぎて、子供の頃からずっとやってきた汚れ。やっと気づけて良かった。変えていきたい。今日のメッセージで清めについてさらに学ぶ中で、昨年のキャンプで示されたことを思い出した。それは、他人のために生きるということは、自分よりも他人を優先するのではなく、自分のことはもう考えないこと。学んだのに行動に移せていなかったので、これからやっていきたい。
(婦人)
メッセージを聞いて、自分が「キリスト・イエスのりっぱな兵士」であるべきことを思い起こした。自分にはエリヤのように天の軍勢がついている、など都合のいいイメージは持っているが、なぜ軍勢がついているかを考えれば、それは霊的な戦いのためであって、ただ祝福を受けるためではないはず。兵士である自覚がないと、それが家、教会など周囲の人の足を引っ張ることにもなってしまう。兵士であるからには常に備えた状態でなければならない。神様のご用のためにいつでも働けるよう、自分をきよく保つことを日々心掛けていく。
(婦人)