“あなたがたもまた互いに足を洗い合いなさい”





今週もメッセージはテーマ「恵みとまこと」でした。
各ブランチ、家の教会での学びのシェアをピックアップして掲載します。


清めとは自分の発する言葉を気をつけようだとか行動のことを 意識していたが、 その目的は神様のために自分を取り分けることだという その一歩先を知る事が足りていなかったことに本日の礼拝で気がついた。 お互いに助け合うこともその先には 神の国を広げるという目的があることを忘れないでいこうと思った。 人間的なレベルで終わるのではなく、もっと神様の心、目的に合わせていきたい。(甲府・婦人)

安息日の意味が少し分かった。神様が私に祝福を与えるためにそうしてくださった。今日のメッセージの内容ではないけれど、先日の聖書通読でイエス様が私のために死んでくださったということがストンと心に落ちたのです。それで聖書を読むと何だかいろんなことが分かってきた。(広島・婦人)


私は生まれた時からクリスチャンだが、メッセージを聞くたびにまだ色々と知らないこと沢山あると気付きました。今日は神様の恵みで人間は生きているんだということを学びました。神様のみ恵みで救われたというのは完全に罪を犯さなくなるという意味ではなく、むしろ過去、現在、将来の罪すべてが赦されているのだということがわかりました。クリスチャンの私もそうで、人間はこの世に生きている時、罪を犯すーー罪責感を持ってーー罪の赦しを求めてーー赦されてーー新しくされるというプロセスの中にいるから誰でも神様の恵みが必要になるはずと思います。この間の礼拝でも学んだが、神様からのすごく大きな恵みを受けた私は、恵みを与えるものになるべきということ改めて考えさせられました。愛されているから、人を愛する、赦されたから、人を赦すことのできる者に変えられました。神様の大きな恵みを感謝します!(広島大学・婦人)

人間は、神様の為に作られたことを改めて学んだ。
自分のいのち、家族を手放して神様にゆだねることが家族を大切にすることだと教えてもらったけど、 自分の事や家族の事を自分で何とかしなくてはという考えが心に染みついていることがわかった。 神様に自分をささげることで、清くされる事を学んだ。今まで、清くないから捧げれないと 考えていたので、全く逆の考え方をしていたことを教えてもらった。 自分を捧げることで清められて、こころのシミも清められることを学んだ。(名古屋・男性)


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