聖別し神様に捧げるとき、清いものとなる

聖日礼拝「恵みとまことNo.19」からの学び、姉妹のシェア

世にあるものは全て清くないが、それを聖別し、神様に捧げるものとすると、それが清いものになって行くことを学びました。それと同様に、神様のために生きるクリスチャンの私も、自分自身を聖別しなければいけません。第一サムエル4章の話しでは、イスラエル人たちが軽い心で契約の箱を戦場に持って行ったが、それをみるときにペリシテ人たちは恐れました。結局、イスラエル人の負けで、ペリシテの勝ちでした。イスラエル人より、ペリシテ人たちの方が、神様に対する恐れ・真剣さを持ったことが考えられました。これから私と神様の関係をもっと真剣に考えていきます。今日聞いたみ言葉を感謝します。 礼拝後に、福岡ブランチの姉妹とスカイプでシェアしました。彼女は同じように、神様に対する真剣さが大切だと言いました。福岡ブランチでは、毎週トラクト配りをしているが、それがただの習慣にならないように、もっと信仰を持ってして行くことが大事です。働きだけではなく、そこにある清さも神様に求められているから、自分を聖別することが大事だといつも考えさせられています、とコメントしました。

(広島大学礼拝所)


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