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11月, 2020の投稿を表示しています

感謝祭、心を込めて作った得意料理で祝福を分かち合い、愛し合うとき

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感謝祭とは・・・ アメリカ大陸に移住して来た人達、船の中で死んだ仲間、大陸に上陸した後に、寒さ飢え、困難の中で死んで行った仲間がいっぱいいた。 そこでネイティブアメリカンがヨーロッパからの移住民を感謝祭の時期に食事に招待し共に食した。神様の導き守り、祝福に感謝をしご馳走を送り合い食事をすること、それが感謝祭。 <福岡> ピザ(マルゲリータと照り焼きチキン) ツナとパプリカサラダ ブロッコリーのオイマヨサラダ さつま芋のフライドポテト クレープ(ホットプレートで焼いて食べました) クレープの具:バナナ(献品)、バニラアイス、チョコソース、生クリーム) 感謝祭の飾り(去年子どもたちと婦人とで作りました) 今年追加で作成した栗、きのこ、羊。 <名古屋> 礼拝堂に飾った野菜やフルーツは、メンバーが神様の恵みをイメージして作りました。 礼拝後の食事会は焼肉でお祝いし、喜びいっぱいの感謝祭でした。 <甲府> 婦人A マッシュルームのクリームスープ チーズケーキ 婦人B 竹輪とシーチキンのツナのサンドイッチ 卵ハムチーズのクロワッサンサンド 婦人C 手羽元の和風ソース和え ポテトソーセージ炒め <東京_宮前平> 焼きそば カリフォルニアロール ツナの炊き込み五目ごはん コーンブレッド ターキー シューマイ 鳥の照り焼き にんじん、大根、キュウリのおしんこ かぼちゃの煮つけ ひじきサラダ かぼちゃスープ さつまいもケーキ、アイスクリーム添え、黒ごまソース、アップルジャム メープルクッキー 特に焼きそばは、男性が前日、4回にかけて作られたとのことでした。 牧師婦人からの指示あった家族へ持ち帰りと、それぞれも持ち帰りしました。 神様の祝福を感謝します!! <東京_鶴見> すき焼き ブラウニー 苺(献品)

神の国が来た!新来会者レポート

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ろうあの叔父さんが、初めてダヴァール教会の礼拝に参加しました。 <礼拝前の様子> 家に着いて初めに「ここが教会なの?家で礼拝するの?」と驚いていたので、 「イエス様の時代(使徒の働き)は、家で礼拝していた」と伝えるとすぐ納得してました。御言葉カード(ピリピ2:13,14)と週報を渡したら、自分の聖書を開き出して、ピリピ2:13,14に(そこだけ)線が引いてあって、それを見せてくれました。 <集合写真> 賛美はリズムを取ったり手をあげたりして賛美して、 口の告白のところは、自分で手話をやりながらリピートしていました。 メッセージ中は、一緒に聖書を開きつつ、iPadに内容を書いていきました。 礼拝が終わってメッセージはどうだった?と聞いたら「とてもよくわかった」と言っていました。 Google Meet(オンライン)で開催した他地域の支部との交わりも楽しんでいました。他の支部はどこある?パンフレットはある?と聞かれたので、 インターネットには載ってる、印刷はできる、と伝えました。 <感謝祭のランチ_すき焼きとデザート> 叔父さんは、22歳の時に洗礼を受けてしばらく教会に通ったあと、最近は教会から遠のいていました。ランチと交わりが終わったと、「フォローアップクラスがあるけど、どうする?」と聞いたら「もう帰る」とのことで、母がバス停まで送っていきました。叔父さんにも神の国が来たこと、感謝です! (東京礼拝所・婦人) <クリスマスツリー_ポインセチア & 飾りつけ&感謝祭カボチャ >

今週(11月22日週)のみことばカード「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださ るのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。(ピリピ 2:13-14)」

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東京支部   甲府支部 香港支部

聖日礼拝後の交わりの写真(スクショ)をシェアします。(東京支部より)

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教会学校の学びから 「神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」

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メンバー:ヨセフ、エステル 聖書箇所:2列王記15:8-16  暗唱聖句:神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。 1コリント2:11  お祈りをして、今日の箇所を順番に読んでいき、南ユダと北イスラエル王国の系図も見ていきました。 北イスラエルの王エフーの子孫4代まで続いた。神様が言われた通りだった。その後の王はシャルム、メナヘムと謀反で変わっていったことを見ていきました。  ヨセフ「エフー王朝長かった、オムリ王朝も。ダビデ王朝はめっちゃ長い。」  南と北の王と預言者も記載されている表を見ました。ヤロブアム王の時の預言者はアモス、ヨナだったよね。その後にホセアと書いてあるのを見ました。ユダではイザヤだったことを見ていきました。  エステル「アモス?」 アモス書というのがあるね。アモス書を開きました。 1章1節、ヤロブアム王とウジヤ王の時代、神様から幻を見せられ、預言のことばがあった。裁きが来ることを伝えるようにと言われた。 エステル「アモスが?」  アモスが人々の前で語ってる絵を見ました。神様は赦すのに限度がある。いつまでも良いと言われない。 エステル「爆発した」 もうこれ以上言うこと聞かずに、神様に背いて悔い改めずにいたら、ここまでと神様は言われる。 ヨナの話もそうだったよね。イスラエルから外国のニネベに行って神様のことばを語ったら、皆悔い改め、赦されたね。 でも、この時イスラエルは繁栄していたけど感謝もせずに悔い改めなかった。 エステルが想像して劇をしました。 「アッハッハ、こんな頭が良くて、良いことしているのにどういうことだ?酒をゴクゴクゴクって飲んでいた。」  北イスラエルにはヨナとアモス、南ユダのウジヤ王の時に預言者イザヤがいた。  エステル「インマヌエル?」  エステル「イエス様が産まれる」 イザヤはイエス様が産まれることを預言されていたね。 その前に神様が言われる。もうすぐ裁きが来る、もう神様は待たない。  エステル「どっちのがいいの?」 どういうこと? エステル「どっちの王様のが(神様にとって)いいの?ウジヤ?北?、、ダビデの方が良かった」 ヨセフ「悪悪悪だった」 と北の王様について言いました。 それでもいつも神様の助けがあったことを...

聖日礼拝から  霊によって生きる

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霊によって生きることと肉によって生きることの違いを学びました。神様はただ行動だけを見るのではなく、心の中にある動機も見ていると学びました。ルカ18:9-14に書いてあるように、神様はパリサイ人の正しい行いではなく、取税人の正しい・砕かれた心を喜ばれました。礼拝後に、福岡の姉妹とスカイプでシェアしました。彼女は、クリスチャンになる前となった後の違いを思い出し、比べたときに、霊的と肉的な生き方の違いが明らかになったと言いました。 人間として今この世界に生きている私にとって霊によって生きるのは簡単なことではありません。そこで、聖霊様の導きが本当に大事だなあと思いました。やはり神様の願いと自分の願いが一致すれば、難しいと感じませんので、やはりそこが鍵だと、彼女とシェアして改めて考えさせられました。 (広島大学礼拝所・婦人)

ランチタイムでの交わりから

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■婦人1:部屋のクリスマスの飾り付けをした。ツリーを買うとクリスマスが終わってから置いておく場所もないので、ツリーが描かれている壁掛けを買った。(写真をシェアしてくれました)  ■男性:最近、大人のCSから学ぶことが一番多い。今週は、神様は生きているので、その都度御心を聞かないといけない。神様の御心は変わる、ということが印象に残った。   ■婦人2:姉とメールやりとりする中で、今の会社の経済状況がコロナで厳しいという話はあるものの、過去もSARSが流行った時や色んな危機があったが、まだ神様を知らない時から、神様がずっと守ってきてくださっていたことがわかって感謝した。大人のCSからも学んだ様に、罪を犯し続けたイスラエルに対して、神様が憐みをかけて愛してくださったのと同じ。   ■婦人3:今週水曜に、急に兄を亡くし独りぼっちになったおじさんの家にいった。ご飯を作ったが、メニュー選びから料理中もずっと、自分が牧師婦人やパスター家族にしてきてもらったことを思い出しながら料理した。妹もおじさんのために焼売を作ってくれたが、きっと同じ想いで作ったと思う。自分たちがしてもらったことを他の人にする喜び、神様の御心を行う喜びを持つことができていることは、ダヴァール教会なしではあり得ない。感謝。

「いのちの木と善悪の知識の木」(収穫者会からの学び)

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収穫者会「実践的クリスチャン生活 No.12」 いのちの木と善悪の知識の木が一本とも考えられるということに驚いた。 問題は、その取り方にあるということ。 自分で良いと思うものを決め、自分の手でそれをとっていくという生き方がどれだけ愚かかということを知った。 それは神様を信頼してないということ。 肉の無力さを忘れないこと。そこにはなんの価値もない。 神様だけを見つめて生きていきたい。 (甲府礼拝所・婦人)

今週の御言葉カード「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています(ローマ7:18)」

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ダヴァール礼拝所の各支部で、それぞれ御言葉カードを作成しています。 今週の御言葉 ローマ7:18 【東京礼拝所】 【甲府礼拝所】 【香港礼拝所】 今週は、メッセージシリーズ「実践的クリスチャン生活 No.12」より、 肉にある生き方、善悪の知識の木から取って食べる生き方からは いのちを得ることができないことを学びました。 メッセージシリーズの最新情報

神様の心を知って、真剣に

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  神様から頂いた言葉を真剣に受け止めて、 それを行うか、行わないかで、 命と死のどちらの結果になるかが決まるんだということを改めて知った。 エゼキエルにイスラエルの今後をビジュアルで見えるように演技させ、神様の心を民達にわかるように見せたにも関わらず、民達はそれを真剣に受け止めようとしなかった。 今回の礼拝で、神様はどんな時も諦めず、 人間が気がつき悔い改め 神様に立ち返られるよう常にあらゆる方法で働かれてることもわかった。 その神様の心を知って、神様の言葉を真剣に受け止めていきたい。 (甲府支部/婦人)

秋の遠足『古代エジプト展』その一

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  名古屋礼拝所で、秋の遠足として、『古代エジプト展』を展覧してきました。 私は、伯母と2人で、車に乗って、自宅から、古代エジプト展の会場まで行きました。伯母が、車から車いすに移る時、広い、3フロアーもある駐車場の中、ちょうどタイミング良く、教会のAさんが来て、手伝ってくれました。会場に向かうエレベーターで、ちょうど、教会のBさんとも会いました。 自宅から会場まで、車でどのくらい時間がかかるかわからなかったのですが、ちょうどよい時間に会場に着き、展覧し終わってランチ会場に着いた時間も、特に、誰もせかされたり逆に時間を持て余したわけでもないのに、ランチの予約時間にほぼぴったりでした。神様の導きを感じました。 エジプト展で感じたこと・・・ 私の歴史の知識が乏しく、背景をいろいろ知っていれば、もっと面白いのだろうということ。 エジプトというと、器などが、ヨーロッパと比べ品質が劣ると想像していたが、案外質が高く見えるものがあるということ。 コンパクトな、手のひらサイズの偶像が沢山あった。自分も、当時、何も知らなければ、この偶像を胸に抱いて、自分の肉欲に偏った安心感を抱いたであろうと想像した。昔のイスラエルの民にとって、偶像が大きな誘惑であったと想像した。 エジプト人は、死後に良い世界に行けることを夢見て、いろいろな空想、魔術?のような本(パピルス紙)を書いている。死後の世界が分からない、そのエジプト人の苦しみを感じた、あるいは、若干、かわいそうだと思った。 紀元前3500年から、新約聖書の時代まで、様々な年代のものがあり、例えば、この絵を描いた人は、ユダのヨシヤ王と同じ時代か?とか、古代イスラエルの、この王様は、このエジプトの、今展示しているものを実際見たことがあるのかなどを想像し、少しだが、古代イスラエルやユダの歴代の王は、本当に実在したのだということを感じた。展示物は、大昔の絵や像などだが、そのころから、人間には目が2つ、口が1つ…といったようなことは変わっていないのだなと思った。 (名古屋支部/男性)

秋の遠足『古代エジプト展』その二

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  名古屋で開催されていた「古代エジプト展」に名古屋支部で見学に行きました。 その感想です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 古代のエジプトの歴史や、その当時の人々の死後の世界の考え方を知ることができた。 ミイラがなぜ作られたのか、ミイラと一緒に入れられたものや棺の模様にどういう意味があるか?また、エジプトの神話のことなど。 面白かったのは、 彼らの宗教では死んで死後の世界に行ったときに、その人の心臓の重さが測られ、最後の審判を受けることで来世に行けるかどうかが決まると書いてあった。 帰ってから展覧会で買った本で読んだけど、心臓が「真実の羽」というダチョウの羽と測られてその人が生前に善行を行なっていると来世も生きられるらしい。羽より重いと心臓が怪獣に食べられてしまう。軽いと来世に行ける。 その時に心臓がその人を裏切って罪を明かさないようにって呪文を書いた石も置かれていたんだって😂面白いね。 でもその当時の人々が真剣に考えた結果そうなったんだなと思った。 死後の世界は厳しい世界らしくて、「死者の書」という呪文が書いてある巻物があって、安全に来世に行くためのガイドブックみたいなものらしい。 いろいろ身につけるのは日本の三途の川を渡るための装束をつけるのと同じようなものなのかと思った。 いつでも魂が戻ってこれるように肉体を保存しておくみたいだけど、展示してあるのは、どれも王家の人や高官や執事とか地位の高い人のばかりだから、来世に生きるために何十日もかけてミイラにしていろんなものつけて墓に入れるのは財産や地位のある人たちだけなのかと思ったけど、庶民のミイラも見つかってるみたい。 他には、神々に捧げるための動物のミイラとか。 その当時人気のあった奉献物(神々の偶像)とかがあった。 そんな時代にヤコブが生きていたし、モーセが生まれて出エジプトの奇跡が起きたんだね。 ローマ帝国に滅ぼされた後はクリスチャンに改宗する人がほとんどで、ミイラも作られなくなったらしい。 古代エジプトの神々は「1500柱」あるって書いてあった。 神々を「柱」と数えるんだね。そういえばキャンプで純が講義したときに柱の話をしていたなと思い出した。 (名古屋支部/婦人)

「イエス様によって清められたから大胆に聖所に入ることができるようになりました。」〜福岡教会学校

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  日付11月1日 聖書箇所:Ⅱ列王記15:1--7 暗唱聖句: 「私たちはイエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」 (へブル10:19) 賛美:主はわが力 参加メンバー:ラケル、レビ >ヨセフは塾が終わったあとスカイプにて教会学校を行いました。 はじめに賛美をしました。そして、祈って始めました。 先週の北イスラエルの王様が君臨していた時期と同じ時期の南ユダの王様の話。アザルヤ(ウジヤ)王様。先週話した王様は41年間君臨していたけど、それは国が安定した状態、豊かだったことをあらわしている。豊かな人はどんどん豊かになり、もちろん貧しい人もいたけど。以前はとても弱くなっていたイスラエルとは違い、奪われた土地も取り返し回復している。誰のおかげかな?と聞くと、「神様。でも神様に感謝しなかった」とラケルが言いました。そうだね、特に豊かな人たちは自分のことばかりで貧しい人たちを助けない。神様から与え垂れたものを自分のためだけに使うのではなくて神と人とのために使おうと言う話だったね。と先週を振り返ってから今日の箇所を読みました。 歴代誌の方でウジヤ王にどんなことが起きたかが列王記よりたくさん書いていることを説明して、そちらを読みました。名前が2つあり、名前の意味をテキストにあるように伝えました。レビは名前が二つあり混乱していましたが、「同じ人なんだ。」と理解できた様子でした。 ウジヤ王がどんなことをしたと書いているかをもう一度確認しました。ラケルは何をしたかが書いている箇所(6、9、10節)を見つけて答えました。あとは兵器も作ったことも見ました。いろんなことをやったことが分かるね。神様のおかげなのだから、ウジヤ王は神様にこのことを感謝したかな?と聞くと、「していない、自分がやったと高ぶった」と言っていました。その高ぶった様子がどのように書かれているか。「香をたこうとした」とラケルが言いました。香をたくのはどうして高ぶりなのか。と聞くと、分からない様子でした。神殿の中で働く人はだれか。「祭司」とレビ、ラケルが答えていました。そうだね。神様が選んで祭司の仕事ができるから、選ばれていない人が勝手にやりたいからやると言うことはゆるされていないんだよ。だけど、ウジヤ王は神様がお決めになったことを無視して、言われていないことまでやろうとしている。香...

聖日礼拝「実践的クリスチャン生活」より

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サウル王の例から、油注がれて成功しても、みことばを知らなければ、成功は一瞬で終わって失敗してしまう。成功する前より悪い状態になってしまうことを教えてもらった。 みことばを知らないと、失敗を反省して次に生かそうとしてもやり方が悪かった、タイミングが悪かった、頑張りが足らなかった、他人のせいだ等自分の心の動機が悪かったと気づけず、反省できないで苦しいままになってしまう。みことばを教えてもらっているから、心の動機が悪くて失敗してしまった。動機を反省して次に生かそうとなることが出来て、新しい自分にしてもらえるのだと教わった。 みこころを行うには、喜びが大切だと教えてもらった。子どもの時に無意識に喜んでいた喜びで、大人の欲(優越感、物欲、権力)を満たす喜びとは全然違うもの。無意識に喜んでいる子どもの状態にもっと戻りたいし、熱中していた事を生活に取り入れていく事が大切だなと思いました。子どもの頃の無意識に喜んでいて、好きなことに熱中していた自分になりたいと思えた事がすごく嬉しい。(男性)  礼拝で神様の御心と自分が良いと思う事の違いについて学びました。自分の過去の体験の中でも神様の御心と自分の良いと思う事の違いを教えてもらった事を思い出します。その体験の中でも、過去、頭の計算で判断して、何度もうまくいかなくなり、つまずいたり、牧師先生家族に助けて頂いてもらいました。この礼拝を通して、本当に頭で計算して、自分の目で良い物をだとみて、神様の御心はこれだ!と勝手に決めて歩んでいたなと自分の浅はかさに反省ばかりです。もっともっと神様に聞く事をやっていきます。また、みことばを知っている事の大切さも学びました。もっともっと知っていきたいです。 いつも神様は私が気づかない時から導いてくださっていて、守ってくださっている事、感謝です。(婦人)