秋の遠足『古代エジプト展』その一
名古屋礼拝所で、秋の遠足として、『古代エジプト展』を展覧してきました。
私は、伯母と2人で、車に乗って、自宅から、古代エジプト展の会場まで行きました。伯母が、車から車いすに移る時、広い、3フロアーもある駐車場の中、ちょうどタイミング良く、教会のAさんが来て、手伝ってくれました。会場に向かうエレベーターで、ちょうど、教会のBさんとも会いました。 自宅から会場まで、車でどのくらい時間がかかるかわからなかったのですが、ちょうどよい時間に会場に着き、展覧し終わってランチ会場に着いた時間も、特に、誰もせかされたり逆に時間を持て余したわけでもないのに、ランチの予約時間にほぼぴったりでした。神様の導きを感じました。 エジプト展で感じたこと・・・ 私の歴史の知識が乏しく、背景をいろいろ知っていれば、もっと面白いのだろうということ。 エジプトというと、器などが、ヨーロッパと比べ品質が劣ると想像していたが、案外質が高く見えるものがあるということ。 コンパクトな、手のひらサイズの偶像が沢山あった。自分も、当時、何も知らなければ、この偶像を胸に抱いて、自分の肉欲に偏った安心感を抱いたであろうと想像した。昔のイスラエルの民にとって、偶像が大きな誘惑であったと想像した。 エジプト人は、死後に良い世界に行けることを夢見て、いろいろな空想、魔術?のような本(パピルス紙)を書いている。死後の世界が分からない、そのエジプト人の苦しみを感じた、あるいは、若干、かわいそうだと思った。 紀元前3500年から、新約聖書の時代まで、様々な年代のものがあり、例えば、この絵を描いた人は、ユダのヨシヤ王と同じ時代か?とか、古代イスラエルの、この王様は、このエジプトの、今展示しているものを実際見たことがあるのかなどを想像し、少しだが、古代イスラエルやユダの歴代の王は、本当に実在したのだということを感じた。展示物は、大昔の絵や像などだが、そのころから、人間には目が2つ、口が1つ…といったようなことは変わっていないのだなと思った。