「イエス様によって清められたから大胆に聖所に入ることができるようになりました。」〜福岡教会学校

 日付11月1日

聖書箇所:Ⅱ列王記15:1--7 暗唱聖句:
「私たちはイエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」
(へブル10:19) 賛美:主はわが力 参加メンバー:ラケル、レビ >ヨセフは塾が終わったあとスカイプにて教会学校を行いました。 はじめに賛美をしました。そして、祈って始めました。 先週の北イスラエルの王様が君臨していた時期と同じ時期の南ユダの王様の話。アザルヤ(ウジヤ)王様。先週話した王様は41年間君臨していたけど、それは国が安定した状態、豊かだったことをあらわしている。豊かな人はどんどん豊かになり、もちろん貧しい人もいたけど。以前はとても弱くなっていたイスラエルとは違い、奪われた土地も取り返し回復している。誰のおかげかな?と聞くと、「神様。でも神様に感謝しなかった」とラケルが言いました。そうだね、特に豊かな人たちは自分のことばかりで貧しい人たちを助けない。神様から与え垂れたものを自分のためだけに使うのではなくて神と人とのために使おうと言う話だったね。と先週を振り返ってから今日の箇所を読みました。
歴代誌の方でウジヤ王にどんなことが起きたかが列王記よりたくさん書いていることを説明して、そちらを読みました。名前が2つあり、名前の意味をテキストにあるように伝えました。レビは名前が二つあり混乱していましたが、「同じ人なんだ。」と理解できた様子でした。 ウジヤ王がどんなことをしたと書いているかをもう一度確認しました。ラケルは何をしたかが書いている箇所(6、9、10節)を見つけて答えました。あとは兵器も作ったことも見ました。いろんなことをやったことが分かるね。神様のおかげなのだから、ウジヤ王は神様にこのことを感謝したかな?と聞くと、「していない、自分がやったと高ぶった」と言っていました。その高ぶった様子がどのように書かれているか。「香をたこうとした」とラケルが言いました。香をたくのはどうして高ぶりなのか。と聞くと、分からない様子でした。神殿の中で働く人はだれか。「祭司」とレビ、ラケルが答えていました。そうだね。神様が選んで祭司の仕事ができるから、選ばれていない人が勝手にやりたいからやると言うことはゆるされていないんだよ。だけど、ウジヤ王は神様がお決めになったことを無視して、言われていないことまでやろうとしている。香をたくというのは香をたくと煙がでて、その煙は上に向かって、天に向かって神様のところへ。祈りが神様に届いているイメージ。だから祈りをあらわしているんだよと話しました。「へー」とレビが言い、ラケルは「なるほど」と言っていました。祭司たちに間違いを指摘されて、ウジヤ王はそれを認めたか、どう反応したか、「怒って、やめなかった」とラケルが言いました。高ぶっていると注意されても、間違っていることを認めることができないね。それで、ツァラアトになった。他にも高ぶった人たちがツァラアトになった話として、メッセージで聞いたモーセに対して腹を立てた話を簡単に説明しました。心の中にある高ぶりがツァラアトとして現されている。
ウジヤ王の話から人間の中に隠れているこの高ぶり、汚れのせいで神様に祈りができなくなってしまった。だけど解決してくださった方がいる。誰かな?「イエス様!」ラケルが言っていました。その通り。イエス様が十字架にかかって死んでくださったのはこのような高ぶり汚れの象徴としてのらい病を受けて死んで行かれた。贖ってくださった。そのおかげで大胆に神様の御前にいき、イエスの御名によって神様に願うことができるようになった。そして神様はその祈りにこたえてくださる。神様に願い求めている?と聞くと、「うん」と言っていました。神様との交わりができること感謝だね。と話しました。

暗唱聖句を読みました。 これは今日の話とどのようにつながるかな、「イエスさまのおかげで大胆に神様の御前にいくことができる。」とラケルが言っていました。 こどもたちの感想 ラケル:やっぱり高ぶりはだめ。私たちは選ばれた者だからもっと大胆になれることがわかった。 レビ:何を学んだか考えるが出てこない様子でした。どんなことを聞いた?と聞くと、高ぶって祈ることができなくなった、高ぶりは悪いとのことでした。 >収穫祭用の飾りづくり:去年作った野菜などに追加するものを考えてもらい、作りました。教会学校の時間ではできなかったので、ランチの後作成しました。ラケルは動物を造ると言って、「ひつじ」をつくり、レビは「栗・きのこ」を作っていました。次回は色塗りをします。


ヨセフと教会学校(スカイプにて) 先週の話はどんな内容だったか。と聞くと、高ぶりがよくないことを聞いたがどんな話だったかは覚えていないとのことでした。午前話したように神様から与えられたものを神と人のために使うことなど話しました。「わかった」と言っていました。 今日の箇所を読み、ウジヤ王様がしたことなどを書かれているところを見つけて、確認しました。「ウジヤ王も傲慢になった」と言っていました。高ぶった様子などを話しました。ツァラアトは何か知っているかと聞くと、「知らない」と言っていました。皮膚の病気で伝染するから隔離されて生活することなどを話しました。
イエス様がその高ぶりや汚れの象徴であるツァラアトになって死んでいってくださった。贖われ、そのおかげで大胆に神様の御前にでて祈ることができるようになったと話して、暗唱聖句の箇所を読みました。
神様に願い求めている?祈っている?と聞くと、「試験や何かうまくいってほしいことがある時に祈っている」と言っていました。

ヨセフは、「傲慢になってはいけない。イエス様によって清められたから大胆に聖所に入ることができるようになりました。」と言っていました。

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