今日は、旧約聖書 第一列王記22章から、最近のメッセージシリーズ「実践的クリスチャン生活」でも学んでいる「偽りの霊 vs 真理の霊」の違いについて学びました。 聖書に書かれている「偽りの霊」については、クリスチャンではなくても全ての人間が「良心」を持っていて、その「良心」の目からして、それが「偽り」なのか「真理」なのかを見抜き、心の奥底では何が真理かを知っている、というところが、とても興味深かったです。 子供の頃、大人同士がお世辞を言い合う場面を見る度に「どうして大人たちは、お互いに騙しあって、喜んでいるんだろう」と率直に疑問だったけれど、大人になって気が付いたら自分もそうなっていて、いかにこの世の中が「偽りの霊」で満たされているか、ということがよくわかります。 1列王記22章に出てくるイスラエルの王アハブも、預言者ミカヤから伝えられた神のことばが「真実」であることがわかっていたのに、「偽り」を選んでしまった。しかも、善悪を判断した結果、神様の御心ではない「偽り」を結果的に自ら取ってしまう様子が、創世記2章でアダムとエバが蛇(偽りの霊)に誘惑されて「善悪の知識の木から取って食べて、死ぬ」という罪の結果になってしまったことと重なることも学びました。 これを自分に当てはめた時に、同じように、心の底では真理を知っていながら、世と妥協して周りに合わせたり、楽な道を取ったり、自分の目にとって良い方を選び、心に平安がないまま普段の生活を歩んでいることが多いことに気付きました。神の子であるイエス様が人間になりこの地上にきてくださったのは、まさにこの「偽りの霊」に騙されてさまよう羊たち(私たち)を「真理の霊」に導いてくださるためであったことがわかりました。 「(キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に追われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなた方は、癒されたのです。あなた方は、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。(1ペテロ2:24,25)」 アーメン!! 信じる者の上に実現すると神様が約束してくださった、この聖書の御言葉の上に立って、明日も感謝して過ごしていきます。 (東京礼拝所・婦人)