“「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです”  〜聖日礼拝からの学び〜


わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。(マタイ7:21) 今日のメッセージで、この「主よ、主よ!」という偽りの叫びを実際にイエス様が何度も体験されていたことがわかった。ペテロが「主よ!神の御恵みがありますように。そんなことが(イエス様が殺されるなんて)、あたなに起こるはずがありません!」と、イエス様が人類の罪の身代わりとして十字架にかかろうとなされているのに対し、自己都合の考え(イエス様に死なれては困る。自分のポジションがなくなる)でそれを否定した場面。また、金持ちの役人が「尊い先生!」とイエス様に教えを乞うふりをして、実はイエス様に自分の善行を認めてもらおうとした話。また奇跡によって5千人にパンをイエス様が与えたあと、「先生!」と呼んでついてきた群衆が、実は神様を求めていたのではなく、「腹を満たしたかった」だけで、イエス様を自分たちのために利用とした話。 世の中はサタンの「偽りの霊」で溢れかえっていて、その中で生きているとむしろ何が本物で何が偽物なのか?がわからなくなり、なぜ自分はイエス様に褒められると思ってたのに叱られてしまうのか、、(実際に教会の中で、牧師先生たちに褒められると期待してやったことが、逆に叱られたことが過去たくさんあった。良かれと思ってやったことが、サタンに攻撃の機会を与える結果になった)良心が鈍ってしまう。「良い実を結ぶには、実だけ変えようとしてもダメ。まずは、良い木にならないと。良い木の遺伝子が、心のヌース(良心)だ」と牧師先生から教えてもらい、改めてまずは「自分の良心を聖める(神様に聖めていただく)」ことからスタートすべきだ、という事がわかった。 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブ1:21,22) 自分の良心を聖めるために、まずは聖書のみことばを素直に受け入れ、示された汚れや悪を捨て去り、みことばを実行する人になることが必要。毎日の生活の中で、聖霊様の助けを求めて、神様に喜ばれることを一つ一つ行っていきたい。



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