イエス様を心に受け入れ、新しい霊を与えられ

 エゼキエル書 11章

先週と同じく、エゼキエル書の11章から、また深い聖書の真理を学んだ。今日改めて感動したのは、愛なる神様の “憐み深さ” と、その “計画の偉大さ” について。多くの預言者を通して何度も偶像礼拝からの悔い改めについて、また、悔い改めなかった時の裁きとしてのイスラエルの国の崩壊について、ずっと警告されて来たにも関わらず、心が固く悔い改めることができなかった民。町は焼かれ、主の箱が安置されていたエルサレムの神殿が破壊された。多くの民がバビロンに捕囚として連れて行かれ、国を失い、神殿も失い、神の選民としてのアイデンティティーも失いかけている中で、神様が用意されていた次の計画はこうだった: 「わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなた方のうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える(エゼ 11:19)」 神様から与えられた律法を守ることができず、敵国に滅ぼされ、神殿から契約の箱が取り去られたが、その出来事こそが神様の人類に昔から計画していた、”律法の廃棄” と “イエス・キリストの現れの予兆” であったことを知り、感動した。多くの偶像の神々の中で、ヤウェこそが「一つ(ひとり)の神」で、その神様が私たちに「一つの」心を与えてくださり、新しい霊をキリストを通して与え、心から喜びが湧き上がる人生を与えてくれた。古い律法(石の心、契約の箱)は取り去られ、イエス様が私たちの心の中に住んでくださるようになった。 エゼキエルが見た幻は、エルサレムの神殿から去られた神様の臨在が、なんと、バビロン捕囚の民と共にいたという霊の世界の現実。そして、後にエルサレムに帰還したユダヤ人が建設した第二の神殿(もはや、契約の箱はない)が、以前のソロモンが建てた神殿(契約の箱が安置されていた)よりも栄光が大きい(ハガイ2:9)という事実についても解き明かしがされ、それがまさに今の私たちがイエス様を心に受け入れ、新しい霊を与えられた状態なのだということがわかり、心に喜びが湧いてきた。律法によって救われることがなかった私が、神様の一方的な恵みによって罪が赦され救われたという霊の世界の現実に感謝し、これからも喜びに満たされて歩んでいきたい。

(東京礼拝所・婦人)



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