キリストにあって新しく生まれ変わったのだ

 先週に引き続き、アブラハムとロトの生き方の違いから、「神の御心を取る人生」と「自分の欲望を取る人生」の違いについて学んだ。前回も、どうやっても神様の御心を選ぶことができない「ロトの性質」を自分にも当てはめてみたが、今日のメッセージではより具体的にその生き方の違いについて話されたので、ロトの悪かったところについて改めて考えて見た。

・ロトは、アブラハムと一緒にいたおかげで、神様の祝福を受けていたのに、そのことに気づいていなかった。 ・アブラハムから先に土地を選ぶように言われた時、ここぞとばかりに見た目が良く潤った町(実際は、悪が蔓延り、人々の良心が麻痺していた町だった)を選んだ ・アブラハムが自分としもべ達のいのちをかけてロトを救ってくれたのに、アブラハムに感謝もしなかった ・悪で満ちたソドムの町に住みながら、悪に対する怒りや嘆きがない。染まっている。 ・神様の憐み(アブラハムの祈り)によってソドムの滅びからかろうじて救われたのに、それが自分が神の目にかなった人だからと考え、かつ山に逃げるように言われてそれを拒否した ・彼の妻は後ろ(昔の生活を惜しんで)を振り返り、塩の柱になってしまった。 これを自分に当てはめると、 ・事実、ダヴァール教会に来てから、神様からたくさんの祝福を受けた。それなのに、祝福の理由が、自分の信仰や行いの結果だと勘違いしている。 ・神様の御心を取らず(聞くこともせず)、楽で楽しそうな道を取る。自分のやりたいことを優先させる。 ・牧師家族が多くの犠牲を払い、自分を愛し導いてきてくれたことに対し、感謝がない ・世の中の悪を受け入れ、妥協して、染まって生きている ・ことあるたびに高ぶり(自分のために祈ってくれてる人がいることを忘れて)、せっかく悪い行いから救われたのに、また自分の好き勝手な道を選んでしまう ・昔の生活を振り返り、その頃に戻りたいと考える(どれだけ自分が汚れて問題を持っていたかを忘れ、神様の救いを感謝しない) 神様はロトに何度も悔い改めるチャンスを与えていたことが、今日のメッセージからわかった。それでもロトは、そのチャンスを生かすことができず、自分の生き方を変えることなく死んでいった。神様の目からして、誰であっても、一人として、そのように滅びることは望んでおられない。なんとかしてロトが御心が取れるように導こうとする神様の愛が、ひしひしと伝わってきた。自分も同じように、どうにかして私が神様の御心をとり、平安と喜びの人生を歩むことができるように、神様(牧師家族)がずっと導いてきてくださっている、、ということがよく分かった。 そしてメッセージの最後に、「人間は弱い。どうやっても神様の御心が取れない。だからこそ、そのためにイエス・キリストが十字架にかかって死んでくださったのだ」ということが語られ、感謝が溢れてきた。人間の世界に罪が入り、サタンが支配するこの世の中で、どうやっても神様の御心をとることができない人間の罪の性質のために、イエス様が身代わりに人間になって、サタンに勝利してくださった。そして、すべての罪の負債を帳消しにしてくださった。だからこそ、私たちは神様の恵みによって、神様の御心を取ることができる、新しい良心を与えられ、キリストにあって新しく生まれ変わったのだ。 今日のメッセージから、イエス様の十字架に感謝する心がさらに生まれた。 キリストにあって、新しい自分で生きていこう。

(東京礼拝所・婦人)



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