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3月28日週のみことばカード「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛した ように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあな たがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。(ヨハネ13:34-35)」

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<東京礼拝所> ※横浜支部/川崎支部共通 <名古屋礼拝所> <香港礼拝所> ※繁体字 <甲府礼拝所>

福岡礼拝所_3月21日_活動報告

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■日時 2021年3月21日 ■場所 福岡礼拝所 ■参加者 ・婦人A ・婦人B ・子ども1 ・子ども2 ・子ども3 ・婦人C ・子ども4 ■礼拝の様子 10:00 日本語礼拝ビデオ(キリストのからだである教会No.8)の通り礼拝をしました。 >婦人C、子ども4は賛美が終わった頃、到着(雨で渋滞していたためと言っていました)。 >献金が終わり、子供たちは教会学校へ 12:00頃 ランチをしました。 メニュー ・親子丼 ・味噌汁 ランチをしながら、復活祭はポットラックをする?と婦人Bが聞いてきたので、復活祭の話をしました。復活祭の前の過ごし方について、イエス様が苦しまれたことを覚えて過ごすこと、そして復活して勝利したイエス様を喜んで感謝する日であることを話しました。 >婦人Bはランチを食べて仕事に行くと言い、先に帰りました。  >先に大人が食べ終わったので、婦人Cと婦人Aでシェアを始めました。 今週のみことばカードを渡しました(収穫者会で語られていた内容で婦人Cにも良いと考え、へブル11:6にしました)。婦人Cは毎週携帯ケースの中にみことばカードを入れ仕事の合間などに見ていると言っていました。 聖書のことばは霊の現実を語っていて、この地上で起きていることと霊の現実は違うので霊の現実を信じて受け取っていくこと。収穫者会で話されていたペテロが水の上を歩いたこと、病気のことなども例えとして話しました。 環境を見ると落ち込むことばかり。だけどそれは偽物の現実。本当の現実は聖書が言っていることだから、神様(みことば)は何と言っているかを知って、自分の考えや人の言っていること捨てて、学んだ真理、聖書が言っている方をとる。神様のことばを単なる考え方とか、いろんな人たちが語るいい言葉のひとつとして考えてはいけないことも話しました。 信仰は神のことばを聞くことからと聖書では言っているので、だから、毎週礼拝でみことば学ぶことが命となることを話しました。 婦人Cは「つらいことばかりよね、、」と言いながら聞いていました。「行動よね、それがね、、、」と言っていました。 私は、行わなかったら何も起きない。私たちの側にかかっている。環境をみないで、恐れないで、学んだことをやっていくことです。と話しました。 私たちは見えるところによって生きるのではなく、信仰によって生きるというみことばを伝えました。 ...

最近神様がしてくださったことで嬉しかったこと

仕事を探してから、神様が導いて順調に見つけさせてくださったことです。 そしてその職場で、2月に礼拝のメッセージで教会が天と地の柱であることを聞いてから、そのことをもっと学びたいと思って探すことが出来たこと。 職場では昼休みに聖書を読む時間が持てること。 そこから元気を頂いて次のことに進んでいけることです。 そういう職場に導いてくださったこと。 毎週ただ与えられている教会でのメッセージのみことばによって信仰と元気にあふれる人生の導きを頂いていること、本当に感謝です。 (東京礼拝所/川崎支部/婦人)

3/14教会学校 名古屋支部 

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3/14教会学校レポート(名古屋)  メンバー:ヨセフ(仮名)、エステル(仮名) 聖書箇所:2列王記19:1-19  暗唱聖句:『あなたが天と地を造られました』(2列王記19:15)  お祈りをして今日の聖書箇所を交互に読んでいきました。  ヨセフくん「ラブシャケのところ?」 ラブシャケが来る前に起こったことを第2歴代誌を通して2~3週連続見てきました。祭司をきよめて神殿も偶像を取り除いて、北のイスラエルからも過越の祭りにいっぱい来たよね、皆喜んで神様にいけにえを捧げて、神様に賛美したよね。過越の祭りをやったね。(肝心なこと、神様がしてくださったことをリマインドできませんでした。) ラブシャケが来た時に民は一致していたね。祭司たちは以前は汚れていて神様に仕えられなかった、霊的に死んでいた、汚れていた。  エステルさん「神様のところに行って悔い改める、立ち返ってからきよめる。」 北の人たちも、近衛兵が伝えに行ったけど宮に来た人と来なかった人がいたね。 全てが整えられてからこのこと(今日の箇所)が起こった。 18章の途中から読んでいきました。 「おまえは誰により頼んでるのか?」エステルさんがラブシャケの言葉を劇のようにして読みました。 ヒゼキヤ王のお父さんは偶像を持ち込んでしまったよね。 エステルさん「アッシリヤが好きになっちゃった」 でもヒゼキヤ王の時には偶像を取り除いたよね。 アハズ王はアッシリヤにより頼んでいたけど、ヒゼキヤ王は神様により頼んでいた。  エステルさん「心も神殿もすっきりした」 ラブシャケは、神殿でしかヤーベの神を拝むことできないのか?至る所の祭壇を何で取り除くのか?と言ってヤーベの神を小さく見て、他の神々と同じように考えていた。 22節、主がこのユダの国を攻めて滅ぼせと言ったとラブシャケは言った。  ヨセフくん 「矛盾してることない?ヤーベの神の言うことを聞くなと言って、自分はヤーベの神が言ったみたいなこと言ってる。矛盾してる」 言ってることがめちゃくちゃで俺たちはヤーベの神より強んだよって民たちを騙そうとした。 ラブシャケはアラム語でなく民に聞こえるようにユダの言葉で話した。民たちはどうやって聞いていたんだろうね。ラブシャケは民たちにヒゼキヤ王の言うことを聞くなと言った。 アッシ...

今週のみことばカード “イエスは、その愛を残るところなく示された(ヨハネ13:1) ”

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今週のみことばカード 「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、 世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された(ヨハネ13:1)」 <東京礼拝所> <名古屋礼拝所> <甲府礼拝所> <香港礼拝所>  

今週のオンラインシェア「好きな聖書の人物」

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今日の支部のオンラインシェアで、好きな聖書の人物についてですが、ダヴァールでメッセージを聞くようになってから、それまで聖書で知っていてもその人の心の動きなどを知らなかった人について、メッセ―ジで詳しく語られて知るようになって共感して、そういう人に対する神様の愛を理解することが出来るようになったことがまず感謝なこと、シェアしました。(ペテロの心の動きなど) 好きな人物はダビデで、2,3年前からの教会学校の教材でダビデのことを毎週、詳しく教えて頂き、ダビデが王となるという神様の約束を受取ってからも、サウルに7年追いかけられて、それでも神様をいつも愛して喜んでいたことが素晴らしい姿だと学んだこと。いつも感謝しているダビデに、周りの勇士たちもついてきて、周りに対しても祝福となったこと。最初に少年のときにゴリアテを打ち破ったときから、環境に関わらず王様になっても神様への愛が変らなかったダビデが、素晴らしい生き方だと励まされたことをシェアしました。 (東京支部婦人)

香港支部からのみことばカード(エペソ4:16)

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香港は、かなりの高層ビルも竹の足場で建ててしまいます。その足場は、写真のように、まさに、紐で結び合わされています。 現場で作業する人たちのいのちも、出来上がったビルで生活する人たちのいのちも、 この小さな結び目に支えられているのです。  私たちも、そのようなパーツであるように。 (香港支部婦人)

私の好きなみことば(詩篇103篇2節)

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今週のテーマは好きなみことばでした。 私は、あるみことばの理解が変わり好きになった出来事をシェアしました。 先週の交わりでみんなの好きな賛美の話を聞いてから、週の間、自分にとって思い出深い賛美は何かと考えていたら、救われたばかりの時のことを思い出しました。 救われた時は2ヶ月ロスに滞在し、パスターの家からロスのダヴァールの礼拝に参加させてもらい、そこでは牧師婦人の初心者クラスに入っていました。ある時賛美のコンテストをするということになり、初心者クラスも参加することになりました。曲は「All things a possible」でした。純に伴奏してもらい、何度も練習をして、振り付けもつけて、皆でお揃いの赤いリボンを「イエス様の血」と言って手首に巻いて賛美しました。その時は皆救われたばかりなので、聖書の知識もないから、賛美の歌詞の意味もわかっていなかったと思うけれど、とにかく救われことへの喜びはあったし、救われて初めて皆で一つのことを一生懸命やったことへの新鮮な喜びがあったことを思い出しました。その思い出が蘇った時に浮かんだみことばが「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)でした。 今まではこのみことばの「忘れるな」という言葉の理解が「忘れてはいけない、忘れたら罪だから」というような律法的な意味でしか理解できていなかったようで、その救われた当時の喜びが蘇った時に、なぜ神様が「忘れるな」と言われたのかがわかりました。この世に生きて、周りの環境を見て喜びをなくすことあるけれど、でも神様が良くしてくださった事を思い出す事でまた喜びが湧いてきます。「忘れるな」という言葉の中に神様の愛がたくさん詰まっていることに気づき、感謝しました。 このことを思い起こせたのは、今のメッセージで学んでいるように、イエス様がいつも神様の右の座から私のためにとりなしの祈りをしてくださっているからであり、聖霊様の助けがあるからです。 (名古屋支部/婦人)