私の好きなみことば(詩篇103篇2節)
今週のテーマは好きなみことばでした。私は、あるみことばの理解が変わり好きになった出来事をシェアしました。
先週の交わりでみんなの好きな賛美の話を聞いてから、週の間、自分にとって思い出深い賛美は何かと考えていたら、救われたばかりの時のことを思い出しました。
救われた時は2ヶ月ロスに滞在し、パスターの家からロスのダヴァールの礼拝に参加させてもらい、そこでは牧師婦人の初心者クラスに入っていました。ある時賛美のコンテストをするということになり、初心者クラスも参加することになりました。曲は「All things a possible」でした。純に伴奏してもらい、何度も練習をして、振り付けもつけて、皆でお揃いの赤いリボンを「イエス様の血」と言って手首に巻いて賛美しました。その時は皆救われたばかりなので、聖書の知識もないから、賛美の歌詞の意味もわかっていなかったと思うけれど、とにかく救われことへの喜びはあったし、救われて初めて皆で一つのことを一生懸命やったことへの新鮮な喜びがあったことを思い出しました。その思い出が蘇った時に浮かんだみことばが「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)でした。
救われた時は2ヶ月ロスに滞在し、パスターの家からロスのダヴァールの礼拝に参加させてもらい、そこでは牧師婦人の初心者クラスに入っていました。ある時賛美のコンテストをするということになり、初心者クラスも参加することになりました。曲は「All things a possible」でした。純に伴奏してもらい、何度も練習をして、振り付けもつけて、皆でお揃いの赤いリボンを「イエス様の血」と言って手首に巻いて賛美しました。その時は皆救われたばかりなので、聖書の知識もないから、賛美の歌詞の意味もわかっていなかったと思うけれど、とにかく救われことへの喜びはあったし、救われて初めて皆で一つのことを一生懸命やったことへの新鮮な喜びがあったことを思い出しました。その思い出が蘇った時に浮かんだみことばが「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)でした。
今まではこのみことばの「忘れるな」という言葉の理解が「忘れてはいけない、忘れたら罪だから」というような律法的な意味でしか理解できていなかったようで、その救われた当時の喜びが蘇った時に、なぜ神様が「忘れるな」と言われたのかがわかりました。この世に生きて、周りの環境を見て喜びをなくすことあるけれど、でも神様が良くしてくださった事を思い出す事でまた喜びが湧いてきます。「忘れるな」という言葉の中に神様の愛がたくさん詰まっていることに気づき、感謝しました。
このことを思い起こせたのは、今のメッセージで学んでいるように、イエス様がいつも神様の右の座から私のためにとりなしの祈りをしてくださっているからであり、聖霊様の助けがあるからです。
(名古屋支部/婦人)