2025年8月24日聖日礼拝後の様子 名古屋礼拝所

〈礼拝後のリフレクション〉 

(Aさん) 

アブラハムが樫の木(天と地を繋ぐ柱)の下によくいたことで、アブラハムにとってはそれが杖だったというのを聞いた。私にとってイエス様の十字架が杖ではあるが、アブラハムと樫の木が私にはそれが「教会」でもあると思わされた。神様からの全ての祝福は教会を通して与えられている。キャンプの冒頭で、牧師先生が「私についてくること。離れてはいけない。」と言っていたことを思い出した。キャンプで羊飼いになるという思いを持ったが、それも教会を離れては何もできないんだということをメッセージから教えられた。感謝だった。





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