〈礼拝後のリフレクション〉
(Aさん)
社会において、製造業は一番大切だと思っている。口の告白が製造業に当たる。イエスは主ですと告白することは、当たり前のことを告白することに過ぎないと思っていたが、実際には、新しい創造のための第1歩であることを聞いた。意識的に新創造の告白をする。また、仕事での雑談時に出てくる人の悪口などに口を合わせないように気を付ける。
(Bさん)
今日の礼拝のメッセージを通して、人がどのように造られているか、また、神様の目的や、人の口が創造の働きをすることを教えられた。人は、その告白したことの実を食べることを教えられた。ダヴァール教会に来て、初めて口の告白のことを教えられた。人の構造においては、口の告白が中心的に働く。悪いことを心で思うだけで終わらずに、それを口に出してしまうと、それによってその実を食べないといけないので、真剣に口の告白のことに取り組みたいと思った。そのことを教えてもらったことに感謝。
(Cさん)
自分が召されたのは、神様をほめたたえるため。しかし、その同じ口で、地上のことや、不信仰や裁きのことばを言うので、その口は汚れている。口を見張っていかないといけない。悪いことを思ったとしてもそれを口に出してはいけない。周りに伝染するし、その実を食べないといけないので。日々、みことばによってきよめられたい。ダヴァール教会に来てそういうことを教えられた。以前の教会に通っていた時の自分は、否定的であったことが分かった。その時は、否定的なことが起こったらこうしよう、ああしようと、予測と対策をあらかじめ立てていた。ダヴァール教会に来て、心配事を以前ほどは言わなくなった。
(Dさん)
神殿にも入り口があり、聖所と至聖所の間にも入り口があり、その口のことを教えてもらった。自分の口は、神殿同様、神様のことばを流していくためのものであり、清めが必要。自分が神様によって新しく変えられたことをことばにすることによって、さらに自分が新しくされる。
(Eさん)
エペソ4:30の「神の聖霊を悲しませてはいけません」ということば聞いて、救われたばかりの頃を思い出した。私はイエス様の流された血によって罪赦された。今日の賛美の歌詞のように、汚れていた自分が雪よりも白くされたということがすごく嬉しくて、これからは自分を汚してはいけないと思ったことを思い出した。世と調子を合わせて悪いことばを出した時、聖霊様を悲しませるということをよく覚えておきたい。
(Fさん)
ヤコブ3:1の「多くの者が教師になってはいけません。」というみことばが胸にささりました。私はみことばを用いて、孫に対して励ましたつもりでも、実際には肉的な強いことばを話していました。このことを反省し、聖書のことばを語る時には十分な配慮が必要だと受け取りました。