名古屋礼拝所「洗礼を受けられる方への聖書の学び」

 



教会のランチが出されるのを待っている間に、今度洗礼を受けられる予定のAさんが

「洗礼を受けたらクリスチャンになるのですか。」と言われました。私は、

「もうAさんはクリスチャンになっている。もしも洗礼を受けなかったとしても天国に行ける。

イエス様と一緒に十字架につけられた犯罪人は、洗礼を受ける暇もなかったが、イエス様に

 

「あなたは今日、私とともにパラダイスにいます」


と言われた。

洗礼式は結婚式と似た部分がある。男女が婚姻届けを出して同棲していても夫婦だが、結婚式をあげれば、自分にも、親戚やその他の人にもけじめになり、2人が夫婦であることがよく分かる。

洗礼式によって、自分がキリストにあるものであることがよくわかる。

神様が、マタイ28章で洗礼を受けよと言われていることが、洗礼を受ける一番の理由。

神様がやりなさいと言っている以上は、そこには必ず意味と、良いことがある。

イエス様自身も洗礼を受けられた。

洗礼式では、喜びと、神様の臨在を感じることがある。

神様がやりなさいと言われていることが2つあって、それが洗礼と聖餐。

どちらも、単にジュースを飲んだり水に浸かったりするだけで、それがどうしたということになる。

しかし、聖餐については、それを雑に扱った人が死んだり病気になったりした記事が聖書にあり、逆にちゃんと受けると必ずそこには何か良いことがある。実効力のあるもの。」

と言いました。

Aさんは「ああそうですか。」と言いながら、「ここにおられる皆さんは、洗礼を受けられたのですか。」と言われました。

ランチが終わって、初心者クラスでは、ルカ3章より、そもそもバプテスマとは何かということを見ました。バプテスマとは、水に浸かること、他の聖書の箇所では、ヨルダン川で行われていたことを見て、イエス様も受けられたことを見ました。また、受けた瞬間に、受けられたイエス様に、父なる神様からのことば

 

「あなたは私の愛する子。私はあなたを喜ぶ。」

 

があったことを見ました。また、マタイ28章の、バプテスマを授ける命令

 

「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」

 

を確認しました。これは、牧師先生がバプテスマを授けるというよりも、神様ご自身が、Aさんに授けることを意味します。(「名前によって」という表現より)

また、ローマ6章より、バプテスマとは、キリストとともに死に、よみがえったことをあらわすものであることを見ました。

また、ローマ8章の、

 

「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が私たちの霊とともに証してくださる」

 

という箇所より、ルカ15書の放蕩息子のたとえより、神の子供としての生き方が始まったこと、それには霊がかかわっていることを言いました。

 

1テサロニケ523

「霊、たましい、からだ」

や、

ヘブル4:12

「たましいと霊の分かれ目」

 

1ペテロ34

「柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人」

 

より、霊という人格が、自分の中にもう一人いること、しかし私自身はそれを感じたことはなく、ただ、みことばを聞くと嬉しくなったり、賛美して喜ぶときなどに、自分に霊の部分があることがわかることを言いました。

浅井先生の洗礼セミナー③で、浅井先生が書かれた図、霊・たましい・体のこと、魂が罪を犯すと霊が小さくなること、子供の時には比較的霊が大きいことを見ました。

Aさんは、その学びの中で、「霊の部分を活性化させることが大事ですね。」との意味のことを言われました。

 

( 男性 Y  N )




 


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