礼拝から受けたこと 〜甲府支部
外側の声ではなく、自分の中におられる神様の声に従って動いていく必要があると言うことを、今回の礼拝で学んだ。それこそ本物だと。 外からの刺激や、 指示を受けて動くのはまだまだ甘えている証拠。 もっともっと神様につながっていたい。 (M) “感じる”いうことに頼ってはいけないと言うことを学んで、いままでそのワードをよく使っていたことに気がついた。そうではなく、信仰の上に立って神様を信じて行きたい。 待っていると与えられる。 待つこと大切さを学んだ。 待てない人が多い、それは肉の計画によるものということを学び、 確かに、いままで待てずに肉に頼ってしまうことがあった。 下(環境)を見ず、空(神様)をみるということをやっていきたい。 急がされるということで、聖霊の力というのは内側から押し出されるが、実際に行うのは私たち信者だということを学んで、素直に、従って行っていきます。 (Y) メッセージの前の宣言の際、自分が本当に神様を見ているかということを問われた時、パスターのリードに頼り切っていることに気がついた。また祈りや宣言の時だけでなく、いつだって環境をみるのだけではなく、神様のことを見つめていたいと思った。 黙っていてはならない。と言う箇所と、 “私の民”というみことばに励まされた。 いまはノンクリスチャンの方も神様の計画の中では、わたしの民だと見てくださっているんだ。神様のことを知っている私たちが黙っているわけにはいかない。黙っていないで、神様の言葉を伝えていくということをやっていきます。 (A)
(甲府支部、婦人)