何があっても自分の中には平安がある 日曜礼拝からの学び

先週日曜礼拝で学んだことをシェアします。 Dさん:安息日を聖別するように、自分を神様に聖別することについて考えさせられた。数ヶ月間前から、色々な出来事通して訓練を受けた。しかし、何があっても、自分の中には平安があるのだと分かった。どんなことがあっても、すでに勝利したことを忘れずに、生きる役目をもっと考えて神様のために生きていきたい。環境・自分のことばかりに集中しないで、これからはもっと神様の方を向いて歩んでいく。そして、みことばを行って、神様についてもっと人々に証する。


礼拝後に、福岡のMさんとシェアしました。 Mさん:今週の聖書学び通して、アブラハムの話から、「行いが先」だということが分かった。行い通して信仰が生まれる。アブラハムはどんな地が与えられるか、どこに導かれていたかも知らないまま神様の言葉を聞き従った。 アブラハムのように、自分の考えを捨てて、素直になって、みことばを行っていくことが大事だ。全て神様がさせてくださるから、できるのだ。 ハレルヤ!

(広島大学支部婦人)

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