5月23日(日):教会学校レポート
メンバー:Yくん、Sちゃん
聖書箇所:2列王記21:19-26
暗唱聖句:『この天地は滅び去ります。』マタイ24:35
先週どういう話だったか聞きました。
Yくん「マナセは最初めちゃくちゃ悪かったのが、最後に良くなった」何をした?
Yくん「悔い改めた」
Sちゃん「マナセはアシェラ像とか星とか子供を火でくぐらせてアハズがしたようにした。その後に悔い改めた」マナセ王はいつそうしたかな?アッシリアに捕らえられて連れて行かれたね。マナセはどこにいた?Yくん「牢獄」暗くて惨めな思いだったかもね。
マナセ王は、パパがやったことが理解できなかった。ヤーベの神様がどういうお方かも分かっていなかった。
Sちゃん「パパって言うと自分のパパだと思っちゃう」でも私たちの親が神様を知っていてもクリスチャンとして育っても、神様とは一対一の関係だよ。外側を見ても救われてるのか分からない。
前回もやったよね、奉仕をしていても心は分からない。Yくん「俺様、人気者だ」と劇みたいに言いました。2人とも「意味ないよ」と言いました。
ヒゼキヤ王の時には神様の何を体験した?Yくん「奇跡」アッシリアが強かったけど戦わずして神様が勝たせてくれた。イスラエルこそ神の国だと周りも思った、豊かだったよね。祝福で満たされていたけど、それは自分でやったと思ってしまった。神様に感謝もせずにね、偶像を拝むようになった。
アハズの時から偶像と本当の神様と同じようにして混ざってしまっていた。その後に流行りのように天の万象も拝むようになった。
Sちゃん「だからお月様とか様をつけるようになったの?」 どうかな?
Sちゃん「神様が(天の万象に)こうやれって命じてるんだよ」
そうだね、神様との契約に従って動いている。
Sちゃん「神様に言われてやっているだけ」神様が造られたものを被造物というね。
Sちゃん「(神様の)作品」
神様が凄くて、神様が造られた物が偉大に見えて、それ自体を拝んでしまっていた。
神様を求めるように人間は造られている。神様は天地を造られた偉大な神様で、ことばで造られた、ことばを語られる。
だけど人間は神様を自分たちの手で作って、物言わぬ木や石を拝んでいた。
Yくん「福沢諭吉は神社の石を持ってきて漬物の石にすり替えても何の反応もなかったらしいよ」
そんな話があったんだね、石は石だね。
先週のことを思い出して欲しいけど、マナセ王は悪い事をして悔い改めた。
マナセ王は香を焚いている神殿ではなく、牢獄で神様に心を向けて祈ったね。
お父さんのヒゼキヤ王は壁に向かって神様に祈っていた。
話があっちこっちと脱線してしまいました。
キリスト教が日本に伝えられた時代はいつだったのかという話になりました。
Yくんは江戸時代から大正時代が舞台のアニメの話をしていたので、皆がアニメなど見てるからといって、小さい時に、神秘的だとかカッコいいといって観たものは思い出に残る。間違っているのに、聖書に似ているからといって偽物なのに良いと思って好きになってしまったら、それも心に刻まれてしまうから、良くない物は見てはいけないと言いました。2人は黙って聞いていました。
神様と個人的な関係を話しました。メッセージでも言われた事、生き方を見ればわかるというよ。神様の心、品性をわからないと教会に行きたくないとか、神様なんてとか不平が出てきてしまう。
Sちゃん「神様は一番嬉しいことは悔い改めること」と言いました。そうだね、悔い改める時って神様が言われた事を聞いてるか無視してるか?Sちゃん「聞いてる時」
カインがアベルを殺した時神様に聞かれて私は知りませんと言った。マナセ王は放蕩息子のように自分のやりたい事をしていた。でもお父さんを思い出してお父さんのところに帰って来た、祈った。心の中でへりくだって神様のところに戻る。心の戸を開けていないと神様のことばは入って来ない。Sちゃんを神様が呼んでいるのに無視していたなら心の戸は開いていないよね?Sちゃん「鍵を開けて、開く」と言いました。
今日の箇所の続きを読みました。23、24節、アモン王は家来たちに謀反で殺されて、民衆はアモン王に謀反を起こした者を殺して、アモンの子ヨシヤを王とした。
王国の年表を見ながら良い王様は誰がいたか見ていきました。
教材にもあったようにヨシャパテ王とヒゼキヤ王では、それぞれの子たちが似ていることを話しました。
ヨシャパテ王は良かった?Yくん「良かった」その後にヨラム王は悪かった。偶像が入ってきてしまった。
Yくん「北の方と仲良くしよう政策」アハブ王と仲良くして子同士も結婚した。だけどヨシャパテ王は悔い改めて、敵が攻めてきて祈って神様が戦ってくださったね、何だった?Yくん「ベラカの谷」
でもヨシャパテの子ヨラムは悪かった、Sちゃん「預言者がいたのに」ヨラム王は悔い改めた?Yくん「悔い改めていないと思う」神様はいつも奇跡を起こして助けていたのにね。
ヒゼキヤ王の子マナセは?喜哉「最後が良かった。」親は良かった。でも子供は悪かった、親子だからではなく神様は一人一人を見ている。一対一でそれぞれの心を見るよね。
神様ではなく、見た目で心を奪われることは偶像礼拝になる。
例えばSちゃんが友達を100人作らないといけない、お金払ってまで何かあげてまでどんなやり方でもいいから作るってどう?Yくん「それって友達じゃない」外側で判断する事。神様は内側を見られる。(話が極端でズレてしまいました)
Sちゃんがかわいい服着てたら、「いいなぁ~可愛い」とか言って褒められたら?それはSちゃんの中身のことを言ってるんじゃないよ。
Sちゃん「花は綺麗だよ」自然は神様が造られたから綺麗だよね。
神様は霊で、人間は神様の霊で生きている。
教材にある聖書箇所2コリント4:18を開いて2人は読みました。
『見える物にではなく見えない物にこそ目を留めます。見える物は一時的であり見えない物はいつまでも続くからです。』 形あるものはいつか無くなるし廃れてしまう。
今週の礼拝のみことばヨハネ4:14も皆と一緒に見ました。水も物質だけど、でもイエス様が与えてくれる水は渇くことはないって書いてあるとおりだよ。それは見えないよ。
Sちゃん「見える物にポイントをおかない」そうだね、見えるものに価値を持つといずれなくなって、なくなった時にどうしようってなる。いつかこの世界もなくなる。
礼拝で聞いた、聖書箇所ヘブル11:1-3を読みました。
『信仰は目に見えないことを信じる』 天地を造られたのは神様だよね、
『この世界が神のことばで造られたことを悟り、神様の見えないことばで見える物がつくられた。』 ことが書いてある所を読むと、Sちゃんは「おーっ」と言っていました。
見えないものが先?どっちが価値がある?Yくん「見えないもの」
最後に、マナセ王は神様に心の戸を開いたと話しました。
教材にあったように、黙示録3:19-20開くよと言うと、Yくん「今日はいっぱい飛んだね」と言いました。
『わたしは愛する者をしかったり懲らしめたりする。熱心になって悔い改めなさい。』
誰が戸を開く?神様は私たちが心の戸を開くのを待っている。
今日の暗唱聖句マタイ24:35、『この天地は滅びる。』 サタンが落とされてイエス様が完全にこの世を治める時が来る。今あるものを無いものにしてしまう神様、『しかし、私のことばは決して滅びることがありません。』 ことばの通りになる。
2人は暗唱聖句をノートに書きました。
名古屋礼拝所/婦人