2021年1月31日(日)活動報告_福岡礼拝所
■日時
2021年1月31日
■場所
福岡礼拝所
■参加者
・婦人A
・婦人B
・子供D
・子供A
・子供B
・子供C
・婦人Cさん、子供F君(小学一年生)
・婦人Dさん(先週来た方)
■礼拝の様子
10:00 日本語礼拝ビデオ(キリストのからだである教会No.1)の通り礼拝をしました。
婦人Dさん:賛美が始まったころに到着。
婦人Cさん:賛美の終わりごろに到着。
>献金が終わり、子供たちは教会学校へ
12:00頃 ランチ
・親子丼
・とりごぼうスープ(婦人Bさんが作って持ってきました)
・お芋の蒸しケーキ(婦人Cさんからの差し入れ(手作り))
・チョコレート(婦人Dさんからの差し入れ)
ランチ中に話したこと
婦人Dさん>男の方が偉いんですか?
婦人A>人の霊は男とか女とかはないのですが、この地上においては男と女とつくられてそれぞれ役割がある。男は家庭を治めて守る役割がある。威張っているとか、女の方が下ということを言っているのではない。
婦人Dさん>では女は?
婦人A>従いなさいと聖書に書いている。
婦人Bさん>いまはそれが崩れてしまっていて問題が起きていると言う話をしていた。
器はそれぞれ目的を持ってつくられている。他の器になりたいということはできないということをメッセージでは言っていた。
婦人Dさん>そういう意味だったんですね。何のことだろうと思ってメッセージ聞いていた。
婦人A>それぞれ目的があって造られているので他の人を見てあーなりたい、なぜ自分はこうなのかといえるものではない。と話して陶器師の話をしました。
婦人Dさん>自分はへんな性格だと思っている、普通じゃないと悩んでいた。ある人に普通じゃないからいいんだと言われたことを思い出した。
婦人A>器の話から、さらに人間は器でその器に入っているのは言葉。そこにどんな言葉が入っているかによってその人の歩みが決まる。悪い言葉(悪い考え)を捨てて、良い言葉を入れる作業をしていく。きよめられていくこと。それが毎週礼拝に来て、神様のことばを入れていくと言うことができるので礼拝は大事であるし、もともと人間は神様を礼拝するものとして造られている。
婦人Cさん>メッセージを聞いて思ったことは、誰かからも聞いたことあったけど、ありのままでいいんだと思いました。聖書に書いてあるんだと知った。
ランチを食べて、片づけているとき、子供Fくんがおもちゃを持ってきて遊んでいた。婦人Bさんが持ってきてはいけないよと言っていました。
私は持ってきてはいけない理由を話しました。神様は聖い方で、教会も聖い場所。世は汚れでいっぱいでそのまま教会に持ち込んでしまうと汚れが入ってしまうし、教会が世の中と同じになってしまうと意味がないので、おもちゃやゲームを持ってこないようにと言っています。大人の場合でしたら、お世辞や心にないこと表面だけの言葉、人に合わせることなど語らないことです。と話しました
婦人Cさんは「そうはいっても、仕事をしていると難しい。世の中にもう染まってしまってるから・・・。」と言っていました。
13:00 婦人Cさんと子供Fくん、婦人Dさんは用事があるため帰りました。
>帰り際に婦人Cさんは「連れて来たい人がいる」と言っていたので、来る際はご連絡ください。と伝えました。「もしそうなれば婦人Bさんに伝えときます」と言って帰りました。
13:05頃 支部とのオンライン交わり
>オンラインでは子供Aが受験合格したことを伝えました。
13:25頃 オンライン途中で婦人B家族(婦人Bさんが仕事のため)が帰りました。
報告:婦人A