賛美は汚れた心のワクチン
ロサンゼルス日時 1月24日ライブ参加からの学びです。神殿をきよめるために、まず祭司たちのきよめ という点で、引かれた聖書の様々な箇所によって、自分が、きよい生ける石であり、それを積み重ねる祭司であり、また賛美のいけにえ(自分自身がいけにえ)をささげる者である事を学んだ。それにより、礎石になられた王なる祭司、そして、ご自身を人の罪の為にいけにえとされたイエス様のミニチュアとして造られたことが分かった。 神様の栄光を現わすために、からだを持ってこの世で生きられたイエス様と同じように、私も、からだで神様の栄光を現わす生き方をすべきを、今日も学んだ。 必要なきよさについて、パスターが、コロナにからめたお話をされていたが、 例えば、人混みを避けるというのは、世と交わらないとか、マスクは、自分のためにも、人のためにも、悪い言葉を発しない、ひとつのしるしとした考えたら良いし、一日に何度も手を洗うことも、(律法的にではなく)その動作のたびに、 信者としてのきよさに対する認識アップにつなげれば良いかなと思った。 これならコロナ規制も、喜びを持ってできそうです。 「賛美は、汚れた心のワクチン」ともおっしゃっていましたが、私たちが神様をほめたたえ、みことばをどんどん発して、サタンがばらまくコロナウィルスを終息させる集団=教会となりたい。