聖書のみことばの個人的適用〜日常生活と神様にある自分〜

最近の聖日礼拝では、「実践的クリスチャン生活」シリーズから、聖書を学んでいます。甲府支部の婦人たちによる、礼拝後のリフレクションをシェアします。




先週、患者さんにクリスチャンのことをきちんと説明できなかった時に、みことば全然足りてない、中心に生きてないということに気がつき、他者に伝えるという意味で聖霊様の油注ぎ、みことばをもっと知りたいと思うようになった。 またカポエイラの練習の中で先生に形は綺麗にできててもほわんとやってたら絶対成長しない。一個一個の蹴り、動きどれも真剣に確実にやっていくことのアドバイスがあって、ハッとすることがあった。その時から日常生活の中でも食べるにしても話す時にも何をするにも一個一真剣にやっていこうと思った。 イエス様の一部であり、私を通して人々がイエス様を知るなら、その責任を負って生きていきたいと今日の礼拝で思った。 (婦人A) 自分の賜物を他者の為につかっていくという言葉がここ最近胸に響いている。 神様についていき、神様に委ね、他者の為に何が出来るかを聞き、それをさせて頂きたい。 (婦人B) いままで自分のことばっかりだったことを悔い改めた。 自分のことは神様が大丈夫だといってくれたのだから、そのためにイエス様が十字架にかかって下さったのだから、 他者に福音を伝えていくことをやっていきたいと改めて思った。 (婦人C) 旧約のサウロの話の引用がわかりやすかった。
(私もサウロと同じように)古いままの自分で生きてしまっています。こつこつながら、信仰を強くして、神にある自分を知る経験をしたい。 (婦人D)


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