日曜礼拝より ~牧師婦人からの助言の記憶~
20代の若い頃(今でもそうだが)、仕事の転職先を決めるとき、何か重要な決断をするとき、問題にぶつかったとき、人間関係に悩んだ時、伝道したい人がいるとき、、いつも牧師夫人にカウンセリングをお願いして、聖書のみことばを通じて神様のみこころを教えてもらっていた。その時によく、わたしが「How to(どうしたら良いか?)」を聞くと、牧師夫人は「How toではなく、もっと根底にある “生き方(どう生きたら良いか)” の話なんだよ」と何度も言われていたが、その時は意味が全然わかっていなかった。
今日の牧師先生のメッセージで、イエス様がご自分の家族を捨て、代わりに「神の御心を行う者がわたしの家族です」と宣言された箇所を読んだときに、人類の罪のいけにえとしてご自身を神様に捧げる覚悟を決められ、真剣に生きておられたイエス様の心が少しわかった気がした。イエスの母マリヤと兄弟たちが「イエスは気が狂ったのだ」という人々がいたので、イエス様を家に連れ戻しに来たときの話。もしここで、イエス様が家族を捨てず、自分のいのちを救おうと心を変えていたら、人類の救いの道は絶たれ、私たちは皆、当然受けるべき罪の結果(地獄)を受けることになっていた。 ダヴァール教会に来て以来ずっと、「もっと真剣に生きないと」と神様から語られてきた。その生き方の見本は、牧師家族が毎日示してくれて、たくさんの愛も注いできてくれた。わたしが一緒に “くびき”を負って歩むべき方はイエス様だ、ということを教えてくれた。人生を軽く考え、安易に未信者と一緒に ”くびき”を負い、世と仲間をやっていると、自分が落ち込み、イエス様のところに導くどころか一緒に穴に落ちてしまう。それも ”軽い生き方”をしているからそうなってしまう。わたしは、イエス様がご自身のいのちと引き換えに、代価を支払って買い戻してくれた自分の人生を、イエス様と一緒にくびきを負って歩んでいきたい。(婦人)