実践的クリスチャン生活
20200906 実践的クリスチャン生活 No.4
最近の聖日礼拝は、「実践的クリスチャン生活」というテーマで、教会で学んだ聖書のみことばを実際に普段の生活の中で行うことの大切さ、について教えられている。
今週はもっぱらイエス様が語られた「なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。(ルカ6:46)」というみことばが頭の中にずっとあった。その中で、今日の礼拝メッセージでは、Iテモテ3章より、「(教会の中の)監督の職」の資格について、「みことばを守る=行うこと(9節)」であること、また、イエス様が弟子達に教えられた「監督(または仕える人、Decon)」とは、「人に仕える者(マタイ20:26)」であり、まさにイエス様は、十字架につけられる前夜、ゲッセマネの祈りの中でご自身のいのちを「自分のためではなく、人(私たち)のために捧げる」という決断をなさったのだ、ということが解き明かされて、とても衝撃を受けた。
イエス様も私たちと同じように人間になられ、「自分のために生きる」という選択肢もあった中で、そのいのちを私たち罪人のために捨てる、という決断を成された時に、どれほどの犠牲を払われる覚悟を決められたのか。それに対して、本当に小さなどうでもいい人間の誇りや自己中心な考え方を捨てることができず、いつまでも偽善(教会で人に見せるために奉仕したり、職場でクリスチャンらしさを演じたり、宗教家をやったり)を行っている自分の汚れが示された。「多くのクリスチャンが、自分を捨てるという決断ができない」と牧師先生も語られていたように、本当に真剣にイエス様の心がわかるように求めて行かないと、一生自分は変わらないことがわかった。
また最後に、聖霊様の力は「他人のために求める人には、必ず与えられる」という真理も語られた。ありのままの自分を見つめ直し、イエス様の心が少しでもわかるように、また自己中心な生き方を捨てて、神様の役に立つ器にもっと成長していきたいと思った。