神様の栄光を現すことができるのだ
恵みとまことをテーマに、みことばを学びました。
イエス様は、十字架にかけられる前夜に過越の食事を弟子達と共に行うことを、「ずっと準備されてきた」、という話を聞いて、「”ずっと" というのは、神様にとっては、いつからだろう?」と考えました。その後、出エジプト記12章が開かれ、歴史上初めての「過越の祭り」について語られた時、「神様(イエス様)は、この時代(何千年も前)からずっと、その日がくるのを待っていたんだ。。」ということがわかり、神様の計画の偉大さを想いました。
私たちに恵みを与えるために、ご自身が持っておられた恵みを捨てて十字架にかかってくださったイエス様。十字架にかけられる前夜の過越の食事を通して、弟子達の罪が小羊であるイエス様に移り、イエス様の血とからだによって「永遠のいのち」をいただくことができるという新しい契約を、弟子達(そして、イエス様を受け入れた今の私たち)と結ぶという、人間にとっては全く想像も及ばない恵みを、ずっと準備されてきた、という事実。
同じように人にイエス様のことを伝える時も、その相手のことを神様が "いつから" 選んでいたか?というと、聖書曰く「初めから(IIテサロニケ 2:13)」つまり、「天地創造の前から(cf.ヨハネ1:1他)」ということ。つまり、霊の世界におられる神様が人間のために計画されていることを、人間のレベルで全て知ることはできないし、ましてやそれ以上の考えは及ばない。だから、私たちは全ての物事をまるで自分から出たことかのように振舞うべきではなく、常に神様の御心を聞き、神様に従うことで、神様の栄光を現すことができるのだということがわかりました。
(婦人)