箴言28章14節「幸いなことよ。いつも主を恐れている人は。」
忌みきらうべき事のために嘆き悲しんでいる者は、しるしをつけられ、殺されないという話から、カインとアベルの話を引かれた。今までも、なぜカインのささげ物がいけなかったかわからなかったが、今回良心というポイントで読んだ時に、書かれていないが、当時の常識というのがあって、カインはその常識を破っていたのではないか?アベルのささげ物に関しては、「アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。」(創世記4:4)との形容があるあたりが、二人の差で、神様の目に留められなかった時点で、すでに良心の咎めを感じていたのでは?と考えた。
私は、クリスチャンになってから、以下のように考えるようになっている。嫌な気分になったり、人のせいにしたり、相手を妬んだりする時というのは、自分に否があるのが分かっているのに、認めたくなくて、周りに八つ当たり状態になっている事がほとんどではないかと。意地を張るから余計にイライラする。カインの場合、それを治められなかったところをサタンに待ち伏せされて、最悪の罪を犯してしまった。
「神様、私がささげた穀物は、初穂でも、最上のものでもありませんでした。分かっていながらささげました。赦してください。」と言っていたら...。人殺しをしてしまったにも関わらず、カインがそれを嘆いた事で、神様は哀れみ、殺されないしるしを下さったのだから、もっと早くに悔い改めていたらと思う。
自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。(箴言 28:13 )
幸いなことよ。いつも主を恐れている人は。しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。(箴言28:14 )
礼拝では、13節を引かれたが、カインは、14節「しかし〜」になってしまったと思う。罪を犯しても、告白する事で、神様は、それを捨てさせてくださる。その恵みを信じて告白する勇気を持つ事を自分にも、まだ神様を知らない人たちにも言い続けたい。
(婦人)