今日の礼拝からの学びです。 まず、 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、 また健康であるように祈ります。(第三ヨハネの手紙2節) このみことばを見ていきました。 たましいに幸いを得ていることが、(体の)健康の条件です。 しかし、これには、もう一つ前の段階があり、それは、霊が守られていることです。 罪を犯していない人なら、霊、たましい、体のすべてのバランスが取れ、 霊が守られているゆえに、たましいが幸いを得、体が健康であるけれど、 残念ながら、人は罪を犯してしまったので、霊がすみっこに追いやられてしまう状態となりました。 罪を犯してしまった者には、ステップが必要です。 イエス様を主と告白して、霊が救われ、神様の御前に出られるようになって、 神様の愛を受けることができて、たましいが幸いを得る、 そして体も健康でいられる。 しかし、この世で、目に見えるものだけにとらわれる生き方をしていると、 踏むべきステップを考えず、すぐに癒される方法を、自分で考え出す。 もちろん、病気に対する、対処療法が不要だと言うわけではないです。 でも、みことばという栄養を求めていなければ、 まさに”対処療法”で終わってしまい、永遠のいのちには至らない。 礼拝の最後に読まれた 詩編103篇 1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。 2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、 4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。 この詩編に、私たちがするべきこと、そしてそれによって受ける恵みが集約されていることが分かりました。 霊、たましい、体を養い、育ててくださっている神様に感謝します!(香港 婦人)