投稿

6月, 2021の投稿を表示しています

収穫者会礼拝メッセージからの支部間シェア

イメージ
  ヨハネ6章のメッセージよりグループシェアの内容です。 Mさん(女性) 「霊的現実」の事を今日改めて学び、それ以外の現実は、意味がないとわかります。「神の印が押されてる」と言うのは、私の名前は命の本に書かれています。その事実は絶対変わらないことです。ところが、いくらそれが現実であっても、私は本当にそれを受け入れてるか?自分の行動を見ると、足りない所がある、とわかります。 Yさん (男性) 昔は、私がたくさん暗唱成句の暗記をしました(一節くらいだけじゃなく、新約の長い箇所も暗記した)。他のあるクリスチャン達も、ある意味趣味として、「みことばの暗記」もしてます。ところが、いくら、「あの言葉、この言葉がこの、あの書物に書いてある」と知ってても、なぜ喜びが少ない?その言葉が働いていないことも発見した。みことばが凄い力、喜びをもたらすべきけものけど、私に足りないのは、瞑想することだ、と今日わかったのです。 Eさん (女性) 「瞑想する事」に関しては、最近職場で、昼休みの時にみことばを読んでますが、「みことばを食べてる」よりも「単に勉強」の時もあります。Davar でいつも学んでるように、みことばを個人レベルまで適用しないと、意味がない、とわかりました。 Hさん (女性) ヨハネ10:10は、今日の自分にとって一つの大きなみことばでした。私は、普段の礼拝最中、信仰持ってる、信仰が高まってきてるであっても、通常生活の毎日で、それの状態とのギャップも発見する。その私の周りの時環境だけ見ると、死だけがきます。周りの人は、サタンの影響によって、死の言葉によって死んでることがわかってます。だけど、その逆で、一つのみことばが心に入ったら、死から命に移されていきます。 Dさん (男性) 今日、「イエス様の肉を食べる」、その意味がさらに深くなりました。いくら前これを学んだ事であっても、みことば=一番大事な毎日の食物、と言うことを改めて今日わかった。無意識で普通の肉のご飯をいつも食べてるけど、たった1日だけでも霊的なご飯を食べない場合だったら、どんな悪い、ソンになること、先週の1日でそれを実際体験しました。そうならないように、いつも霊的な食べ物を今までよりもっと大切にしていきます。

霊的な環境の支配 〜聖日礼拝シェアより

イメージ
  十字架での死さえもイエス様自身がお許しになって行われたという事実を聞き、神様の御心を行うためにそこからぶれず、そのために環境を支配していくということを、私も学んでいきたい。神様の御心を常に見つめていれば、感情や環境に流されず生きれるのだと思う。 ドリルを通して、イエス様と一体化になるとはイエス様の部分として、イエス様として生きることなんだと知った。その信仰の上に立って生きていきたい。 (甲府婦人A) 土曜日の礼拝のヤコブ1:17の箇所で 神様はこんな大切な想いで私を産んでくださったんだということを改めて知った。 みことばを他者に伝えることは今のわたしにはまだまだできないと思ったが、1人で聖書を読むだけでも壁に向かって読むだけでも霊の世界に広がっていくと知ったので、 神様がどういう気持ちで私を産んでくださったことを念頭に置いて行っていきます。 ( 甲府 婦人B) 口の告白について反省した。 クリスチャンでも悪い考えや告白をすると周りの人に悪影響を与えてしまう。でも逆に神様の言葉を伝えていくことで、周りの人が救われる。同じ口でも使い方で周りへの影響が変わるから、これから気をつけていきたい。 ( 甲府 婦人C) イエス様を知る事は、恐れ、罪責感は不要だと知ること。 みことばを語る機会を作ることで、聖霊に満たされていく。 (バンクーバー 婦人D)

今月の誕生日のお祝い🎉

イメージ
  6月13日 名古屋礼拝所にて、6月誕生日のお祝いをしました。 🍴ランチメニュー: 🍝ミートソーススパゲティ 🎂パンケーキ(アイス、ホイップ、フルーツ添え) 6月の誕生日のお祝いに、誕生日のメンバー👪が パンケーキを焼いて ホイップクリームをつけ、フルーツを盛り付けていきました みんなでハッピーバースデー🎶を歌い 皆からの寄せ書きカード💌が 誕生日のメンバー、一人一人に手渡されました 子供達にとって、教会の皆のために💒パンケーキを焼くという 初めてのチャレンジとなりました。 表情が明るく生き生きしていました。💖 トッピングも一つ一つ楽しんでいました。 💮 牧師夫人からの励ましとアドバイスにより、誕生日のお祝いに、奉仕の機会が与えられたことを神様に感謝します!😇 (名古屋、婦人)

父の日カード

イメージ
父の日のお祝いのため、押し花の飾りで父の日カードを作りました。 添えたみことばは、イザヤ書40章より。 「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない(イザヤ40章30,31節)」 (東京支部・婦人)  

5月23日(日):教会学校レポート

メンバー:Yくん、Sちゃん 聖書箇所:2列王記21:19-26 暗唱聖句:『この天地は滅び去ります。』マタイ24:35 いつものように祈って、今日の聖書箇所を交互に読んでいきました。 先週どういう話だったか聞きました。 Yくん「マナセは最初めちゃくちゃ悪かったのが、最後に良くなった」何をした? Yくん「悔い改めた」  Sちゃん「マナセはアシェラ像とか星とか子供を火でくぐらせてアハズがしたようにした。その後に悔い改めた」マナセ王はいつそうしたかな?アッシリアに捕らえられて連れて行かれたね。マナセはどこにいた?Yくん「牢獄」暗くて惨めな思いだったかもね。 マナセ王は、パパがやったことが理解できなかった。ヤーベの神様がどういうお方かも分かっていなかった。 Sちゃん「パパって言うと自分のパパだと思っちゃう」でも私たちの親が神様を知っていてもクリスチャンとして育っても、神様とは一対一の関係だよ。外側を見ても救われてるのか分からない。 前回もやったよね、奉仕をしていても心は分からない。Yくん「俺様、人気者だ」と劇みたいに言いました。2人とも「意味ないよ」と言いました。 ヒゼキヤ王の時には神様の何を体験した?Yくん「奇跡」アッシリアが強かったけど戦わずして神様が勝たせてくれた。イスラエルこそ神の国だと周りも思った、豊かだったよね。祝福で満たされていたけど、それは自分でやったと思ってしまった。神様に感謝もせずにね、偶像を拝むようになった。 アハズの時から偶像と本当の神様と同じようにして混ざってしまっていた。その後に流行りのように天の万象も拝むようになった。 Sちゃん「だからお月様とか様をつけるようになったの?」 どうかな? Sちゃん「神様が(天の万象に)こうやれって命じてるんだよ」 そうだね、神様との契約に従って動いている。 Sちゃん「神様に言われてやっているだけ」神様が造られたものを被造物というね。 Sちゃん「(神様の)作品」  神様が凄くて、神様が造られた物が偉大に見えて、それ自体を拝んでしまっていた。 神様を求めるように人間は造られている。神様は天地を造られた偉大な神様で、ことばで造られた、ことばを語られる。 だけど人間は神様を自分たちの手で作って、物言わぬ木や石を拝んでいた。 Yくん「福沢諭吉は神社の石を持ってきて漬物の石にすり替えても何の反応もなかったらしいよ」 そんな話...

6月4日(金):収穫者会後のシェア

6月4日の収穫者のシェア報告です。 箇所:出エジプト19章、使徒2章、ヨハネ4章 参加者:Hさん(婦人)、Mさん(婦人)、Sさん(婦人)、Tさん(男性)、Dさん(婦人)、Dさん(男性) 時間:夜10:10-10:35 シェアした内容 Mさん 聖霊様の霊的な働きをもっと理解できた。霊の世界は現実です、ただ地上でまだ見えてない。メッセージ、また自分で聖書を読む時にそれをもっと見る事ができる。それだけじゃなく、聖霊様が神の御心を教えてくださり、自分が毎日の生活の中で、どうやって正しく生きるかをも教えてくださいます。少しずつもっとそれをやっていきます。 Hさん 「真の礼拝者」がどうゆう意味、メッセージをとしてわかり、今週もそのことを考えていました。一番大きなことは、神様の心を知ることです、とわかった。職場で、いくら事務的な仕事があるとしても、人と接する時にもっと心を入れてことできる、改善していきます。また、今週もローマ8:9を改めて読んで、自分の霊が、聖霊様に囲まれていること、この霊の現実は、改めて凄い、と発見できました。 Tさん 今日、聖霊様が全ての真理に導き入れてくれる事と、この世の支配者がもうすでに裁かれている事、改めて学びました。ところが、私は職場にいる時に、この真理の上にたってない時があるとわかります。時には、イエス様が患者さんを癒すと言うよりも、「自分も彼らを癒さないといけない」の考えが無意識で入ってしまうこともある。自分の分野の事勉強することは良いことですが、これからもっと真理の上に立ち、病気を持ってくるサタンが完全に裁かれた事の真理の上に立って、もっと告白すべきです。 Dさん ヨハネ4章のドリルをやりながら、イエス様とニコデモとの出会いと、イエス様とサマリアの女性との出会いの違いを気づいたことがありました。それは、ニコデモが、自分自身がたくさん神様のためにやってると思ったから、イエス様の所には来なかった。ところがが、サマリアの女は、自分は悪いだとわかって、イエス様を求める心があった。私自身は、謙遜なってイエス様にもっと求めていきます。流れる水は求める人だけに与えられる。 Sさん 聖霊様が、ヨハネ16章を通して、未信者にあやまりを教えてくださる、それが奇跡だとわかりました。また、毎日聖霊様が通常生活の中に、自分を導いてくれるのですが、それを見えてない時もある。...