聖日礼拝の後、礼拝のメッセージを聞いて教えられたことを分かち合いました。 福岡支部 とオンラインにて、子供と大人に分かれてのリフレクションも行われました。 〈礼拝後のリフレクション〉 (Aさん) 礼拝メッセージの中で、「何故礼拝するのか」という話が出た。何故礼拝しているのかと言えば、神様に礼拝することで、神様からの祝福与えられるから。…これは私が教会に来るようになった時に、教会の姉妹からも教えてもらっていた。しかし、今回のメッセージを聞いて、改めて、礼拝の必要性や意味が分かってよかった。1列王記13章の「年寄りの預言者」は、エルサレムから来た本物の「神の人」の話聞きたさに、彼を呼び戻して食事に招いたことを詳しく、メッセージの中で説明して下さったので、意味が分かった。彼はヤロブアムへの反抗心があり、また、自分の弟子である若い人たちにも、「神の人」の話を聞かせたいという強い思いあったが、「神の人」が死ぬことを承知で食事に招き、その結果、彼は祝福された。「神の人」(イエス様)の犠牲ゆえに「年寄りの預言者」(私)を祝福してくださる、そういう神様のしてくださることはすべて愛で、私はその愛の中にいることを忘れたくないし、それを知らない人にも、その神様の愛がどれほど素晴らしいものかを伝えていきたい。 (Bさん) 人が罪を犯したことで、神様と人をつなぐ接点の場所(祭壇)が壊れてしまって、人は、神様から離れた状態、神様と交わりがない状態になり、それによって世界に破壊が起きて、世界が荒れ地・不妊の女のような実を結ばない状態・呪われた土地になった。このことはこの世界についても当てはまるが、私自身についても同様のことが当てはまり、自分は破壊の中を生きていたなと振り返りながら祭壇についての話を聞きました。しかし、イエス様によって、全ての罪が赦され、神様と断たれた部分が清められ、清められたことによって神様との交わりが回復され、私もこのことにあずかる者になったというのを思い返しながら聞いていた。イザヤ6章でも、天には神の栄光があるが、この地上は神様の栄光がない状態になったと言っていて、その個所を通してそれを見ることができた。それがどういう状態かというと、人が自分の栄光を求め、自分のことばかり考え、いつも...